#エッセイ

エッセー「田舎のネズミと都会のネズミ」& ショートショート「ロボット・グラディエーター」& 詩

エッセー 田舎のネズミと都会のネズミ  夏休みになると、都会人の多くが自然と交わるために旅をする。都市という文明社会の一歯車として回り続けていると次第に歪が生じ、そのかなめで回る心が疲れたとき、人は遠い昔の母体であった自然に包まれたいと願うようになる。それは一方向に回り続けていた歯車を逆に回転させて調整する大切な息抜き作業だ。森は祖先が暮らした生活の場で、海はそのさらに昔の祖先が鰓呼吸をしていた生活の場だった。だから赤ん坊はいまだに尾を引いて、子宮という小さな海から生を授

エッセー「さらば赤の女王」& ショートショート「金メダル暗殺事件」

エッセー さらば赤の女王  「赤の女王仮説」という、生物進化の仮説がある。『鏡の国のアリス』に登場する「赤の女王」が「その場に留まるためには、全力で走り続けなければならない」と言ったのを、提唱者の進化生物学者が借用したものだ。その意味は、「他の生物種との絶えざる競争の中で、ある生物種が生き残るためには、常に持続的な進化をしていかなくてはならない」ということ。仮にその種の進化が停滞すれば、進化し続ける周りの競合他者に追い抜かれ、結局絶滅の憂き目に遭うことになるという学説だ。

エッセー「芸術の永劫回帰」& ショートショート「魔の山」

エッセー 芸術の永劫回帰  「文盲」という言葉がある。差別用語と指摘されることが多く、マスコミでは使われていない。僕もそれに倣って「非識字者」という言葉を使おう。最近ではSNSで、文章の読み書きが苦手な人を「文盲」と揶揄する人がいるらしいが、これも差別だ。文章は本来、意味の伝達手段に過ぎず、伝われば役目を果たす。教養の指標にする必要もなく、「文学」なんかも所詮趣味人の愉楽に過ぎない。音楽や美術と同じに、好きなタイプの愉楽にのめり込めばいい。  ユネスコによれば、世界の識字

エッセー「オドラデク」& ショートショート「ロボット・アウシュヴィッツ」

エッセー オドラデク  フランツ・カフカの有名な作品に『家父の気がかり』というショートショートがある。家の中に住み着いた生き物とも機械とも分からない奇妙な同居人を、主人の視点で描写した小説だ。星形の壊れた糸巻きみたいで、糸くずも巻き付き、星の真ん中から突き出た短い棒と、それに直角の棒を使って上手に動き、捕まえようと思っても逃げられてしまう。しばらく居なくなったと思うと、再び戻ってくる。僕は子供の頃、玩具が無くて「糸巻き戦車」を良く作って遊んだが、そんな感じのものだろうと勝

エッセー「一匹狼について」& ショートショート「ミロのヴィーナス」

エッセー 一匹狼について  「一匹狼」という言葉がある。狼は普通家族で行動するが、成熟した子供はオスもメスも家族から離れ、パートナーを見つけるまで一匹狼となって荒野をうろつく。一匹で獲物を仕留めるのは大変で、その時期は餓死する危険も高いという。もっとも、いずれはパートナーを見つけて子供を授かり、集団生活に戻るわけだから、その孤独は一時的なものとなる。しかし、飢えた狼は常に追い詰められた状態で、この時期はサバイバーとしての力を身に着ける貴重な時間ともいえる。  この「一匹狼

エッセー「ようこそネクロポリスへ」&ショートショート「イマーシブ・シアター殺人事件」

ようこそネクロポリスへ ~メタバースという疑似彼岸~ (一)  いまみんなが見ているテレビやパソコンの画面は、古代から楽しまれてきた芝居や踊りの舞台が、家というプライベート空間にコンパクトな形で入り込んだものだと言っていい。昔の人はわざわざ劇場にまで足を運んで木戸銭を払い、舞台上の役者たちの芸を観て楽しんでいたわけだ。だからテレビが最初に家庭に入ったとき、一段高い床の間に置かれ、垂れ幕を上げて舞台を見上げるような格好で楽しんだ。  テレビも舞台も、演ずる者と観る者は明確

エッセー「優生思想について」& ショートショート「陽はまた昇る」

エッセー 優生思想について (一)  僕は定年退職してから別の仕事を始めたが、病気になってその仕事も辞め、いまは治療に専念している。だから暇つぶしに文章も書けるわけで、仕事を続けていたら趣味の作文は続かなかったに違いない。志賀直哉は筆を折った理由を「エナジーが無くなった」と言ったが、歳を取ればそんな偉い先生もそうなのだから、僕だってどんどんエナジーを失いつつある。文才は別として、志賀直哉と僕の違いは、彼は若い頃から作文で稼ぎ、僕は稼ぎの悪いデスクワークでなんとか生計を立て

エッセー「唯我独尊は独立自尊で超人思想である」& ショートショート「ママっ子詐欺」

エッセー 唯我独尊は独立自尊で超人思想である  「唯我独尊」という古い言葉がある。巷ではこれを悪い意味で捉え、「自分が世界一優れているとうぬぼれること」や「この世で自分だけが尊いという独りよがりな態度」を表す言葉として話されることが多い。こうした意味の背景には、社会内人間の個人に対する「世間」という他者のルサンチマン(怨恨、僻み)が隠れていることは明白だろう。何でも知っているような振りをしたり、教養をひけらかしたり、他者を小馬鹿にしたりする態度はたちまち嫌われるが、実際には

エッセー「寝そべり族は超人か⁉」& ショートショート「雪男」

エッセー 寝そべり族は超人か⁉  日本人ならほとんどの人が、「富国強兵」という言葉を知っている。この言葉は、明治政府が生み出したスローガンで、日本が欧米先進国に追い付くため、国を豊かにし、強い軍隊を作ることを念じて掲げたものだ。しかし最近の物騒な世界情勢を見ると、このスローガンは日本だろうが先進国や発展途上国だろうが、すべての国の国是になっていることを実感し、いまも昔も世界は変わっていないものだとつくづく思い、苦笑している。何となれば、多くの国の人々が自分を貧乏人だと思って

エッセー「天才とは⁉」& ショートショート「アラジンと40人の浮気族」

エッセー 天才とは⁉ ~モーツァルトを考える~   「天才とは、1%のひらめきと99%の努力である」とエジソンは言ったそうだが、後に「1%のひらめきがなければ99%の努力は無駄になると言ったのだ」と訂正したらしい。教育者は最初の言葉を広めて、「努力が大切だ」と子供たちに諭したいらしいが、その方向性が正しいとすれば、結局我々はダイヤモンド鉱山で働く労働者のようなものだということになる。  仮に天才を夢見る凡人がいたとして、彼は1%のダイヤモンドを見つけるために汗水たらして地

エッセー「どいつもこいつも麻薬中毒」& ショートショート「人類野生化再生プロジェクト」

エッセー どいつもこいつも麻薬中毒 ~ギャンブル依存症を考える~  痛みには「肉体的な痛み」と「精神的な痛み」がある。肉体的な痛みは負傷や炎症などに伴う苦痛で、精神的な痛みは心が傷ついたときに伴う苦痛だ。そのどちらとも、神経の感覚なので、感覚器官の個性によって鈍感であったり敏感であったりする。肉体的痛みの場合、人によっては傷の痛みをあまり気にしない者がいれば、ちょっとの痛みで泣き叫ぶ者もいる。精神的痛みの場合も、大きなショックでもめげない者がいれば、ちょっとのショックでめげ

エッセー「ゴジラ、悲しき道化師」&ショートショート「ブラック・マウンテン」

エッセー ゴジラ、悲しき道化師  大分昔、手に火傷をしたら食用油をかけろというのが医学常識の時代があった。僕が上野の飲み屋で酒を飲んでいたとき、店員が熱い油を手にかけ火傷をした。僕は「早急に患部を冷やせ」という新しい医学常識を知っていたから、直ぐに水をかけろとアドバイスしたが、彼は酒に酔った僕をジロッと見て、「騙されはしないぞ」といった顔付きで薄笑いしながら横の油をかけ始めた。僕は気分を害し、それ以来その店には行っていないし、彼の火傷がどうなったかは知らないが、きっと病院に

エッセー「トロイメライ」& ショートショート「黄金姫」 

エッセー トロイメライ ~I Have a Dream~  シューマンのピアノ曲集『子供の情景』に、『トロイメライ(夢想)』という曲がある。誰でも一度は聞いたことがある名曲だ。『子供の情景』は、恋人であるクララの父親が二人の結婚に猛烈に反対していた時期に、彼女から「時々あなたは子供に思えます」と言われたのをきっかけに作曲した小曲の中から、13曲を選んでまとめたものだ。彼は自分の子供時代を夢想してこの曲集をつくったらしいが、きっと相手の父親と裁判までして結ばれるという骨肉の争

エッセー「小澤征爾の思い出」& ショートショート「亡き囚人のためのパヴァーヌ」

エッセー 小澤征爾の思い出  小澤征爾が亡くなった。偉大な足跡を残した指揮者だったので残念だ。若い頃小澤に入れ込んで、大谷ファンのように海外にまで行って演奏に触れることがあった。日本で小澤の演奏に接するのは当たり前の話だったが、欧米では「東洋人に西洋音楽が分かるか」と思われていた時代だ。そんなときに、東洋人の指揮者が西洋人ばかりで構成される名門オーケストラを指揮し、聴衆もほぼ西洋人だったという現象は、大リーグで日本人選手がホームラン王を獲得するのと同じような快挙だった。ファ