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エッセー「被団協、ノーベル平和賞の意義」& ショートショート「メシアの陰謀」& 詩

エッセー 被団協、ノーベル平和賞の意義  今年のノーベル平和賞は、日本被団協に授与された。ダイナマイトを発明したアルフレッド・ノーベルは、新聞に「死の商人」と書かれたことをきっかけに、遺産を原資とする賞の設立を遺言に残したが、そう考えると平和賞ほど彼の思惑を具現した賞もないだろう。  もちろんこの賞に限らず、ノーベル賞は「人類に対して大きな貢献をした人々に与えられる」ものだ。当然、「人類」はすべての人間という意味であり、一部の人間集団でも多勢の人間集団でもない。元々ダイナ

エッセー「ディープステートについて」& ショートショート「スピカ星人の話」& 詩

エッセー ディープステートについて  粘菌というアメーバの一種はユニークな単細胞生物で、あの南方熊楠が研究していたことでも知られている。乾燥と日光が苦手で、湿潤な森林地帯の倒木の下や落ち葉の裏などを好み、体の形を自在に変えながら移動し、周囲の環境に対応してより快適な形態に変化していく。大きく「真正粘菌」と「細胞性粘菌」に分類され、真正粘菌は多くの仲間が集まって融合し、多核の巨大な単細胞に変身して、理論上はどこまでも大きくなれるのだという。  一方細胞性粘菌は、融合はせずに

エッセー「中段の構え」& ショートショート「人面魚」& 詩

エッセー 中段の構え ~靖国参拝を考える~ (一)  剣道の構えには上段の構え、中段の構え、下段の構えの三種類がある。上段の構えは刀を頭上に振りかぶった状態で構え、速攻できる利点があるが、胸から下は無防備状態となるため、防御によほど自信がなければ、まずこの構えを選ぶ者はいないだろう。  下段の構えは、切先を水平より低く下げた構えで、基本的には防御を重点とするが、胸から上は無防備となるため、現在ではほとんど見られなくなっている。  圧倒的に多いのが中段の構えで、切先を相

エッセー「パワハラについて」& ショートショート「死ぬ女」& 詩

エッセー パワハラについて  近頃、兵庫県知事のパワハラ疑惑問題でマスコミが騒がしいが、僕が若い頃は、そんなのは当たり前の時代だった。高度成長時代だったら、こんなに騒がれることもなかったろう。僕が生まれた少し前は戦時中で、新兵は何の理由もなく上官からビンタを食らっていた。僕が中学生の頃も、先生から往復ビンタを食らった。ビンタを食らって視力が落ちた下級生もいたし、訴訟に発展して教師が退職することもなかった。大体、教師の不祥事は、学校が露骨に擁護するのが常識だった(いまは密かに

エッセー「印象派的政治論」 & ショートショート「徳川埋蔵金」 & 詩

エッセー 印象派的政治論 ~ルックスが歴史を変える!?~  (一)   先日、米大統領選での両候補の討論会を見ていて、子供の揶揄合戦のように見えてしまい、失笑した。自分が当選したらアメリカをどう変えるかなどと大風呂敷を広げるのは当然のアピールだが、その数倍の時間をトランプは嘘か誠か分からない大げさな揶揄に費やし、ハリスもそれに応じて時間を取られるなど、高度なディベートにはならなかった。僕にとっては環境問題が肝心要の話題だと思っていたが、それもあっさり終わった。当然、受けが

エッセー「田舎のネズミと都会のネズミ」& ショートショート「ロボット・グラディエーター」& 詩

エッセー 田舎のネズミと都会のネズミ   夏休みになると、都会人の多くが自然と交わるために旅をする。都市という文明社会の一歯車として回り続けていると次第に歪が生じ、そのかなめで回る心が疲れたとき、人は遠い昔の母体であった自然に包まれたいと願うようになる。それは一方向に回り続けていた歯車を逆に回転させて調整する大切な息抜き作業だ。森は祖先が暮らした生活の場で、海はそのさらに昔の祖先が鰓呼吸をしていた生活の場だった。だから赤ん坊はいまだに尾を引いて、子宮という小さな海から生を授

エッセー「さらば赤の女王」& ショートショート「金メダル暗殺事件」

エッセー さらば赤の女王  「赤の女王仮説」という、生物進化の仮説がある。『鏡の国のアリス』に登場する「赤の女王」が「その場に留まるためには、全力で走り続けなければならない」と言ったのを、提唱者の進化生物学者が借用したものだ。その意味は、「他の生物種との絶えざる競争の中で、ある生物種が生き残るためには、常に持続的な進化をしていかなくてはならない」ということ。仮にその種の進化が停滞すれば、進化し続ける周りの競合他者に追い抜かれ、結局絶滅の憂き目に遭うことになるという学説だ。

エッセー「芸術の永劫回帰」& ショートショート「魔の山」

エッセー 芸術の永劫回帰  「文盲」という言葉がある。差別用語と指摘されることが多く、マスコミでは使われていない。僕もそれに倣って「非識字者」という言葉を使おう。最近ではSNSで、文章の読み書きが苦手な人を「文盲」と揶揄する人がいるらしいが、これも差別だ。文章は本来、意味の伝達手段に過ぎず、伝われば役目を果たす。教養の指標にする必要もなく、「文学」なんかも所詮趣味人の愉楽に過ぎない。音楽や美術と同じに、好きなタイプの愉楽にのめり込めばいい。  ユネスコによれば、世界の識字

エッセー「オドラデク」& ショートショート「ロボット・アウシュヴィッツ」

エッセー オドラデク    フランツ・カフカの有名な作品に『家父の気がかり』というショートショートがある。家の中に住み着いた生き物とも機械とも分からない奇妙な同居人を、主人の視点で描写した小説だ。星形の壊れた糸巻きみたいで、糸くずも巻き付き、星の真ん中から突き出た短い棒と、それに直角の棒を使って上手に動き、捕まえようと思っても逃げられてしまう。しばらく居なくなったと思うと、再び戻ってくる。僕は子供の頃、玩具が無くて「糸巻き戦車」を良く作って遊んだが、そんな感じのものだろうと勝

エッセー「一匹狼について」& ショートショート「ミロのヴィーナス」

エッセー 一匹狼について  「一匹狼」という言葉がある。狼は普通家族で行動するが、成熟した子供はオスもメスも家族から離れ、パートナーを見つけるまで一匹狼となって荒野をうろつく。一匹で獲物を仕留めるのは大変で、その時期は餓死する危険も高いという。もっとも、いずれはパートナーを見つけて子供を授かり、集団生活に戻るわけだから、その孤独は一時的なものとなる。しかし、飢えた狼は常に追い詰められた状態で、この時期はサバイバーとしての力を身に着ける貴重な時間ともいえる。  この「一匹狼

エッセー「ようこそネクロポリスへ」&ショートショート「イマーシブ・シアター殺人事件」

ようこそネクロポリスへ ~メタバースという疑似彼岸~ (一)  いまみんなが見ているテレビやパソコンの画面は、古代から楽しまれてきた芝居や踊りの舞台が、家というプライベート空間にコンパクトな形で入り込んだものだと言っていい。昔の人はわざわざ劇場にまで足を運んで木戸銭を払い、舞台上の役者たちの芸を観て楽しんでいたわけだ。だからテレビが最初に家庭に入ったとき、一段高い床の間に置かれ、垂れ幕を上げて舞台を見上げるような格好で楽しんだ。  テレビも舞台も、演ずる者と観る者は明確

エッセー「優生思想について」& ショートショート「陽はまた昇る」

エッセー 優生思想について (一)  僕は定年退職してから別の仕事を始めたが、病気になってその仕事も辞め、いまは治療に専念している。だから暇つぶしに文章も書けるわけで、仕事を続けていたら趣味の作文は続かなかったに違いない。志賀直哉は筆を折った理由を「エナジーが無くなった」と言ったが、歳を取ればそんな偉い先生もそうなのだから、僕だってどんどんエナジーを失いつつある。文才は別として、志賀直哉と僕の違いは、彼は若い頃から作文で稼ぎ、僕は稼ぎの悪いデスクワークでなんとか生計を立て

エッセー「唯我独尊は独立自尊で超人思想である」& ショートショート「ママっ子詐欺」

エッセー 唯我独尊は独立自尊で超人思想である  「唯我独尊」という古い言葉がある。巷ではこれを悪い意味で捉え、「自分が世界一優れているとうぬぼれること」や「この世で自分だけが尊いという独りよがりな態度」を表す言葉として話されることが多い。こうした意味の背景には、社会内人間の個人に対する「世間」という他者のルサンチマン(怨恨、僻み)が隠れていることは明白だろう。何でも知っているような振りをしたり、教養をひけらかしたり、他者を小馬鹿にしたりする態度はたちまち嫌われるが、実際には

エッセー「寝そべり族は超人か⁉」& ショートショート「雪男」

エッセー 寝そべり族は超人か⁉  日本人ならほとんどの人が、「富国強兵」という言葉を知っている。この言葉は、明治政府が生み出したスローガンで、日本が欧米先進国に追い付くため、国を豊かにし、強い軍隊を作ることを念じて掲げたものだ。しかし最近の物騒な世界情勢を見ると、このスローガンは日本だろうが先進国や発展途上国だろうが、すべての国の国是になっていることを実感し、いまも昔も世界は変わっていないものだとつくづく思い、苦笑している。何となれば、多くの国の人々が自分を貧乏人だと思って