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数秘が教えてくれた人生の転機

数秘学が教えてくれた。私の転機は25歳だと。どんな年だったか思い出してみた。
・学生の時から海外で生活したいと思っていたことが実現した年
・自分の思い上がりを認め、謙虚になれた年
・仲間がいるって楽しいし心強いって思った年
・自分にはできないとあきらめないで、がむしゃらに頑張れる自分の強さを発見した年
・枠にはまった生き方をしなくていいんだって思った年

大学を卒業後、旅行会社へ就職して3年目。ご縁と会社のバックアップのおかげで、オーストラリアで働くチャンスを得た。それが25歳だった。

学校で英語の成績はよかったが、生の英語は手ごわかった。何を言っているのかわからない。面と向かっていればなんとかわかるとしても、電話となるとどんな表情で、どんなジェスチャーをしているかヒントがないので、最初の1ヵ月は苦労した。

3年間日本で働いて、それなりに仕事ができる方だと思っていたのは思い上がりだったと自分の非力を認めざるを得なかった。
日本とは勝手が違うことばかり、自分でもあきれるくらい仕事がうまくできない。英語が思うように話せないし、相手の言っていることがわからないことが多く、会話する時は緊張の連続。おまけに上司であるマネージャーはバリバリ仕事ができる人で、部下に多くのものを求めるクールな人。

頑張れたのは若さゆえ、そしてなによりも仕事仲間がいたから。ほぼ毎晩、夕食後は皆でナイトクラブへくりだし踊りまくる。週末はホームパーティ。今思うと、仕事が終わると、だれも会社や上司、仕事の愚痴を言う人はいなかった点は、日本と違うところだったと思う。

頑張っていたのだが、勤務し始めて1ヵ月半くらいたったある日、マネージャーに言われた
「ゴールドコーストはシドニーに次いで要となる忙しい支店だから、あなたにはもっと楽な支店の方が合うんじゃないか」と。
いつもきついマネージャーがやんわりと言ってくれたのは思いやりだったのだろう。要するに、戦力外通告だ。
くやしいも悲しいもなく、ただ頑張りたいという気持ちしかなかった(今の私なら優しいマネージャーがいる、残業もない仕事が楽な方を選ぶかもしれないが)
私はマネージャーに言った
「あと1ヵ月がんばらせてください」と

そして約束の1ヵ月がたった。マネージャーと二人で話し、引き続きゴールドコースト支店で働けることになった。まだまだだけどなんとかなるだろうってマネージャーは思ったのかもしれない。

半年もたつと、仕事や英語にも慣れてきて、怖いマネージャーといても徐々に緊張しなくなっていった。トラブルにも対応できるようになり、仕事が楽しくなっていた。夜な夜な通うナイトクラブも楽しかった。こんなに働いた割に給料が安いとか、仕事が多いとか、上司がきついとか、日本でなら言っていたであろう不満や愚痴もまったくなかった。

シェアをすれば家賃が安いことも生活の満足度においてメリットのひとつだったと思う。ゴールドコーストの海の前にそびえたつマンションの38階、プール、スパ、バーベキューコーナー付き、広い部屋、10人くらいの仲間を呼んでホームパーティができるくらい広いリビング。きっと今までの人生で最も自分らしく楽しく生活していた年だったと思う。

その後、私は日本へ帰国。あとになって現地の仲間から聞いた話によると、あの怖いマネージャーが私のことをこう語っていたという
「彼女はすごく優秀だった。電話が鳴ったとたん、誰からどんな用件かがわかるくらい鋭いし、電話しながら他の仕事をかたづけてしまうくらい仕事が早かった」と。
そんなはずはない。そんなことできるわけがない。話を盛ってそんな伝説を作り出してくれたマネージャーに感謝した。かつて、戦力外通告されたから、自分のおごりに気づけた、頑張れる自分に自信を持つことができた。

数秘学が教えてくれた転機の年は、後になってみると、後々の人生にとって大切なことをいくつも学んだ年だったと思う。

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