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yokoito_illust
こだわらない生き方とブラックコーヒー
いつからだろう、コーヒーをブラックで飲むようになったのは。その前に、もともと紅茶党だったのに、コーヒーが好きになったのはいつからだっただろう。
かつての同僚、マリちゃんはコーヒーが飲めなかった。職場の後輩が忙しい先輩を気遣っていつもコーヒーを淹れてくれた。遠慮深いマリちゃんはその好意を断れず、無理に飲んでいるうちにコーヒーが飲めるようになったという。
社会人になった時、同僚とランチすると食後のコーヒーが習慣になった。ミルクと砂糖をスプーン1杯ずついれたコーヒーはおいしかった。
きっと誰かに言われたんだろう
「通はコーヒーをブラックで飲む」
「ブラックで飲むとかっこいい」とか。最初はかっこつけて、ちょっと無理してブラックを飲んでいるうちに飲めるようになった。マリちゃんのように。
週末、楽しみにしているコーヒータイム。新しい豆を買ってきた。つやつやで黒々した豆。予想以上に焙煎が深めだった。ワクワクしながら豆を挽いて淹れて飲む。いつも通りブラックで。
求めていた以上の苦みだった。もっと甘味のある豆でもよかったな。
そうだ、簡単なことを忘れていた。甘味を足せばいいんだ。ブラウンシュガーを入れたコーヒーでほっとひと息、いつもの素敵なコーヒータイム。
長いこと、当たり前になっていた、コーヒーはブラックで。思い込みやこだわりが強いと視野が狭くなり、他の選択肢があることに気づかなかったりする。コーヒーだけでなく、どんなことでも。久しぶりに飲む砂糖入りのコーヒーをすすりながら、そんなことを考えていた。
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