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ショートショート 10年後に知った真実

おばあちゃんのおうちに行くのは子供の時の楽しみだった。お正月やお盆、おばあちゃんの誕生日、そしてだれかの葬儀の時も、親戚が勢ぞろいする。おじさん、おばさん、いとこたちで総勢20人にはなる。子供たちはゲームで遊んだり、庭で鬼ごっこしたり、家の中で面白いもの探しをしたり。それはもう楽しいことだらけ。

おじいちゃんは私が幼稚園の時に天国にいったらしい。お正月でも夏祭りの頃でもないのに、みんな真っ黒な服を着て集まった日、あの時がおじいちゃんの葬式だったんだろう。みんな悲しそうだった。私はおじいちゃんとおしゃべりしたことはないと思う。私がおじいちゃんについて覚えているのは、みんなが集まるお部屋の天井近くに飾ってある大きな写真の顔だけ。

だからここは、おばあちゃんのおうち。親戚が集まる時は、おじいちゃんの写真が飾ってある大きなお部屋でお食事をする。おばあちゃんは部屋の奥の方で、みんなよりふわふわの分厚い座布団の上に座って動かないし、おしゃべりもしない。ただ、目の前に出された料理をちょっとずつ食べて、あとは皆の顔を見て微笑んでいるだけ。食事が終わってもおばあちゃんの口は絶えず動いている。
コロコロ、キャラキャラというような音がする。飴を口の中で転がしている音だ。なんだかおいしそうに、いつまでコロコロ、キャラキャラ、音がしていた。

食事が済むと子供たちはおうち探検を始める。おばあちゃんのおうちには見たこともないようなものがたくさんあった。
押入れの中の木箱を開けると、たくさんのマッチ箱が入っていた。箱には文字や絵が描いてあって、見ていて飽きなかった。

その奥からは小さな楽器がでてきた。お母さんに聞くと、お琴だという。友達のお琴の発表会にお呼ばれしたことがあるから、お琴を見たことはあるけど、長くてとても大きいし弦だけだった。このお琴は小さいし、弦だけじゃなく鍵盤までついている。不思議な物体を弾き方もわからず奇妙な音をたてては楽しんだ。

時がたつの早い。私は受験勉強、塾通い、クラブ活動で忙しいし、友達と遊ぶのが楽しいお年頃。次第におばあちゃんのおうちに行かなくなっていった。いとこたちも同じだ。次第におばあちゃんのおうちにはおじさんとおばさんたちしか集わなくなっていった。

今日も父と母だけでおばあちゃんのおうちに行って帰ってきた。夕食の時、おばあちゃんのおうちに皆が集まってにぎやかだった頃の思い出話をした。
「押し入れに見たことないようなものがいろいろ入っていたよね。ほら、小さなお琴とか。大小琴って言ってたよね?」
母が言った「大正琴でしょ。大正時代に流行った楽器だったのよ」
そうなの? 大正琴だったの?
大きな琴とセットの小さな琴で、大小琴だとずっと思っていた。

「そういえばおばあちゃん、よく食事の後に飴舐めてたよね、コロコロいわせてさ」
母が言った「あれは入れ歯が合わなくぐらついててね。口の中で入れ歯を転がしていたんだよ」
そうだったの? 美味しい飴を食べていたんじゃなかったの?

コロコロ、キャラキャラ
耳の奥に残る美味しい音の記憶、
丸くて甘い飴のイメージが壊れていく。
笑いがこみあげてきた。
おばあちゃん、10年たっても楽しませてくれてありがとう。


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