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暑いと人は、考えごとができないようにできている

暑い。

ほんとうは他のことを書こうと思っていたのに、暑すぎてもはやこれしか書けない。

こちら、予報では今日の最高気温32度だという。

まだ6月だなんてわたしは信じない、信じないぞ。

* * *

暑くなると、考えごとができない。

これはわたしのなかでけっこう確信をもっている話で、noteをはじめたばかりのころ、こんなことを書いた(もう2年半前か…!なつかしい)。

このnoteにも書いているのだけれど、20代半ばのとき、赤道直下の南の島で7、8ヵ月ほど暮らしたことがあって、そのとき、ほんとうに「考えごと」をしなくなった。

というか、できなくなった。

社会人になりたてのころ、実名のアカウントで毎日中毒のようにtwitterに脳内の思考をたれながし、のめりこんでいたような時期もあったのだが、この南国へ渡ってからというもの、パタリと更新しなくなってしまった。

なにかあった、というわけでもない。

単に、それができなくなったのだ。

* * *

理由のひとつは、スピード感についていけなくなったこと。

四六時中、モバイルからも快適にネットにアクセスできる日本の環境とちがって、当時その国ではまだまだネット環境整備段階であった。

インターネットを使いたいと思ったら街にあるインターネットカフェに行かなければならない(90年代にみたような、コロンと大きなデスクトップ型が並んでいた)。家族や友人とのスカイプなどは時間を決めてやっていたが、twitterのようにどんどん流れていくスピード感には、完全についていけなくなった。

そしてもうひとつが、単に、思考を深めなくなったことだ。

前述したnoteのなかでも、

とにかくここで言いたかったことは、その地の気候が、人の思考の深さに大きく影響を与えると感じたということだ。働いて貯蓄をするという思考は、明日を憂う、将来のことを憂うという思考、つまり人生のことを考える思考につながっていると思うのだ。

といっているけれど、この南の島におりたってからというもの、もうびっくりするくらい、脳内一人会議をすることがなくなった。

日本にいるころは、ひとりでいろいろと思いをめぐらせ、ときにそれをtwitterにつぶやいたり、自分のメモにかきとめたりする時間があれほど日常だったというのに。

もちろん、最初は新しい環境に刺激をうけてそれどころじゃなかった、というのもあるだろう。けれどその傾向は、半年ほどたっても…、というかむしろ、長くそこにいればいるほど顕著になっていく気がした。

* * *

簡単にいうと、暑いと、もうなんか、どうでもよくなるのだ。

常夏だからずーっと暑い。1年中、暑い。

なるべく余計なエネルギーを使わずに省エネモードでいたいし、たとえ働かなくて無一文になっても、寒さで死ぬこともないし、食物は豊富に自生しているから飢えもしのげる(ヘッダー画像は道ばたに生えてたパパイヤ)。

極論、働かなくても死なない。

暑い気候にはそういう意味で、ひとの本能的に「考えごと」をしなくてもいいという要素が含まれているんじゃないかと思う。

というか、逆にいえば、寒い気候の場合はどうにかして働いて衣食住の装備を整えないと、凍死や飢えがただならぬ問題としてそこにある。だからひとはどうしても、明日を憂い、「考えごと」をせざるをえないように、本能的にインプットされているのだろう。

* * *

暑い。

考えごとができないので、昨日、コワーキングスペースの月額会員を契約してきた。

窓をあけて気持ちのよい季節は在宅で仕事がはかどるのだが、夏場はどうしてもいけない。

ひとりでいると、「暑い」「のどかわいた」「ごはんどうしよう」くらいだけを考えて1日を終えてしまいそうだ、私の場合。

決してわたしが怠惰なわけではない。気候のせいなのだ。

……暑い。

あぁ、もう。

でかけよ。

自作の本づくりなど、これからの創作活動の資金にさせていただきます。ありがとうございます。