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つめこみ過ぎの日記

いろんなことが一度に押し寄せすぎて、完全に消化不良を起こしている。

消化不良っていうとなんかね、たぶんわるいイメージがあるけどそうじゃないんだ。たぶん「不良」って字面がいけないんだな。よくない、って書くから。なんの話だっけ。

そう、たぶん消化不良にはふたつ種類がある。ひとつは自分の体調が悪くて、いつもの食べものを消化できないとき。これはたしかにあんまり気持ちのいいものではない。

でももうひとつは、高カロリーのものや、普段はめったに食べない美味しい外食なんかをつい食べ過ぎちゃったとき。

こっちの場合は、「おいしい、おいしい!」って思いながら調子にのってぱくぱく食べちゃって、なんなら「はぁ〜、しあわせ!」って思いながら浴びるように食べちゃって、それで自分のキャパでは一度に消化しきれなくて、あとで「やば、食べ過ぎた……」ってなる。

いや、たしかにそれも「胃もたれ」と表すとネガティブなんだけど、「おいしいもの食べ過ぎたからまだ全然お腹すかないなあ〜」っていう、わるくない消化不良もあると思う。

おいしいものを摂取しすぎて、単に自分の消化スピードが追いついてないだけ。いまの消化不良は、そんな感じ。まだまだ、おなかいっぱい。

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そもそも今回の東京行きは、昨年末に見かけたこれがきっかけだった。

ワークショップデザイナーの臼井隆志さんが、「夫の育休」について取材してくれるひとを募集しているのを見かけて、あ、お話聞きたい!と思い、応募したのだ。

そのために東京へ行くことにはほとんど迷いがなかった。ちょうど今年は「意識的にストッパーをはずそう」と心に決めていたからだ。やりたいな、と思ってしまったら、やるしかない。遠隔で話を聞くことも可能だけれど、一問一答じゃなくて、せっかくならその場の温度感を感じながらお話を伺ってみたかった。

ってかっこよさそうに言いながらも、実際は東京行きの前日に娘が熱を出し、急遽県外の義実家にヘルプを要請することになり、それはそれはいろんな思いがからみあって、くやしさと情けなさとぐちゃぐちゃに入り混じった複雑な感情で、出発前に朝からぼろぼろ泣いた。そのあたりの気持ちはとてもひとことでは言い表せないので、後日書けたらいいなあと思っている。書けるんだろうか。はたして。

とにかくそんなわけで、わたしは臼井さんの育休についてお話を聞かせてもらう機会を得た。せっかく東京へ来るなら、noteのワークショップがある日にしてはどうですかと、臼井さんが提案してくださって(やさしい)、そのワークショップの前に、カフェで待ち合わせて臼井さんに取材させてもらうことにしたのだった。

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そして、やっとその日。

ちなみに昼間は別のミーティングに行っていた。私の新卒時代にお世話になった方に、ものすごくひさしぶりに声をかけていただいた、あの話

新しいオフィスに初めてお邪魔して、何年ぶりかでお会いして、サンドイッチをつまみながら、彼女のやっていることの話を聞き、新しい仕事の打ち合わせをした。それだけでも不思議な縁のめぐりあわせを感じたり、動き出した仕事にわくわくしたり、いろんな気持ちを味わっていた。

すでに満ち足りた気分を胸にいだきながら、でもそこから、メインイベントへ。外苑前に移動して、臼井さんの取材にのぞむ。

スタバに早めについて、どきどきしながら臼井さんを待った。昼間の打ち合わせでPCの充電が心もとなくなってきて、Evernoteに書き出していた質問事項をあわてて手書きのノートに書きうつす。アナログはアナログで好きだ。

しばらくして臼井さんがやってきて、挨拶もそこそこに「スッ」とおしゃべりがはじまって、とても楽しい取材時間を過ごさせてもらった。この「前提をすっとばして本題」感は、note酒場のときに感じた感覚にとても似ていた。会ってすぐに、腹のうちを探り合うようなやりとりも何もなく、いきなり本題。

あとで臼井さんから「めっちゃくちゃしゃべりやすくて驚いた」ってコメントをいただいたのだけれど、それはこちらもまったく同じで。たぶん、noteっていう前提があったことと、乳幼児を育児中という共通の話題があったことが大きいのだと思う。

こどもを育てながら学びを得て、それを仕事にもいかしてゆく。わたし自身もまさにその迷走のなかにいるから、臼井さんのお話はとても興味深かった。後日、noteに記事としてアップしたいと思う。どうかのんびりとお待ちいただきたい。

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いや、もうお腹いっぱい、わたしの小さな消化キャパシティはとっくに越えている状態……からの、夜は「#noteが書きたくなるワークショップ」。

前回の参加者の方々がチューターとして参加されるということで、わたしは前回参加していないのだけれど、一眼レフを持っていっていたので写真記録係というお役目をいただき、チューターのひとりとしてお手伝い参加させてもらうことになった。

前回のテストワークショップの段階から、いろんな方のレポートを拝見しておもしろそうだなあ、と興味をもっていたので、その場の空気を体感できてとてもうれしかった。

具体的な内容は、ぜひ参加者のみなさんのイベントレポートにて(「#noteが書きたくなるワークショップ」で検索)。

個人的にとくに印象的だったのは、企画協力されているボードゲームデザイナーのミヤザキユウさん(先日の「#note福岡meetup第3回」にも来てくださった)が、ワークショップの最中、会場の後ろでもくもくとリアルタイムで運営の反省点(よき/改善点の両方)を次々に書き出してポストイットで貼っていっていたことと、ワークショップ終了後にそのまま会場で行われた懇親会の後半、主催者やスタッフ、参加者の一部がごちゃまぜになって自主的に、ワークショップ反省ディスカッションを繰り広げていたことだ。

とくに後者は、note公式のひとがひとりもいなかったというのに、熱量がすごかった。「ここがやりづらかった」「このときこんなふうに感じた」という話をしながら、ぽんぽんと、「もっとこうしたらいいかもね?」「あ、それならむしろこうもできるんじゃん?」「あー、それありだね」と、リアルタイムで次回への改善点がまとめられてゆく。noteって不思議だ、と前から思っていたけれど、ますますその思いが高まった。うまくことばにできていない。消化不良を言い訳にしておく。

* * *

そして話は変わるけれど、個人的にとてもうれしかったことは、期せずして、チューターの中に、ずっとお会いしたかった嘉晶(Yoshiaki)さんがいらしたり、普段からnoteやtwitterで交流のあるアラキナツさん佐藤智さんゆきなつさんに声をかけていただいたりしたことだ。

嘉晶さんは、いつもnoteでお見かけするイラストと同じ色のコート&ロングスカートだったので、会場に入ってきた瞬間にわかった。イラストの力ってすごい。やさしくてやわらかな雰囲気もnoteの印象そのままで、とてもあたたかい気持ちになった。とてもとても、うれしかった。

アラキさんや佐藤さん、ゆきなつさんは懇親会のときに初めてお話しした。普段は断片的に知るnoterさんの輪郭が、実際に対面するとひとりの人間として重量をもって浮かび上がってくるその感じが、大好きだ。みなさんいい感じに力が抜けていて、自然体で、お話させてもらって楽しかった。

note読んでます、と声をかけられるのは、恥ずかしいけれど、とてもうれしい。そしてそのうれしさは、「安心する」という意味合いが大きい。なぜなら、noteで脳内をさらけ出しているわたしの場合、noteを読んでいますと言われることは、「このひとの前では何も取りつくろう必要がない、とりつくろう意味すらない」ことと同義でもあるからだ。

だってもうすでに十分過ぎるほど、恥をさらしつづけている。ああ、初対面だけど素で失礼しますねふふふ、って気持ちになる。

おたがいにnoteを読み合っていると、安心しきって、表情から力がぬける。リアルでは初めましてなのにね。地味に、地味に書きつづけてきて、よかったなあと素直に思う。いまさらとりつくろう意味もないくらい、素の自分を膨大にさらしておいて、よかったなあ。

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それが昨日の話。

そもそも2日前、複雑な思いを処理しきれずにぼろぼろ涙しながら福岡をあとにしてから、さらにいろんなことがどどど、と押し寄せて、気持ちも仕事も全然消化しきれていない。

今朝、とりあえず昨日撮ったワークショップの写真だけは、ちょこっと編集して、主催のみなさんにデータをお送りした。

ワークにのぞむ参加者のみなさんの真剣な表情や、はにかみながらもとつとつと、自分のなかにあるものをことばにして相手に伝えようとするその表情、そしてときたまはじける笑顔。

画面に映るそれを見つめながら、ああ、わたしもわたしの思いをまた、ひとつひとつことばにしてゆこう、それしかないのだとシンプルなところに行き着いて、ようやくすこし気持ちが落ち着いた。

ただいま、福岡。そして日常に戻る。

自作の本づくりなど、これからの創作活動の資金にさせていただきます。ありがとうございます。