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意識的にストッパーをはずす

新年の抱負というか、12月のnote酒場以降「次の1年は自分のなかでこれを合言葉にしよう」と思っていることがあって、それが「意識的にストッパーをはずす」というもの。

もう少しことばにすると「直感を優先して、意識的にストッパーをはずす」なんだけれど、「直感を優先」は「意識的にストッパーをはずす」ことに内包されていると思うので、省略。合言葉はたぶん、短いほうがいいよね。

やりたいことを、やりたい、っていう。

やりたくないことを、やりたくない、っていう。

2019年はそんなシンプルなことを大切にしたい。

直感ではやりたいと思うけれど、いろいろ考えると無理かなあ、って思うことは「やる」方へ。直感ではやりたくないけれど、あのひとに嫌われたくないから仕方なくやろうかなってことは「やらない」方へ、舵を切る。

* * *

思えば20代のころ、自分がこれと決めたときの行動力だけが取り柄だった。

新卒採用を行ってない会社にアプローチして同期ゼロで新卒入社したときも、数年後にその会社を辞めて海外へ行ったときも、ワーホリ先で“経験者募集”の求人記事に未経験で乗り込んで働かせてもらったときも、周りからはよくやるねえ、と笑われたものだ(ずうずうしいねえ、とあきれられていただけかもしれない)。

それがこの3年はどうだ。

自分でちっさい繭をつくって、その中でずっともごもごしている。ように、同一人物の自分としては感じる。非常に感じる。

わかりやすい背景は、結婚、引っ越し、妊娠、出産がほぼ近い時期にバババッとたて続いたこと。

結婚して引っ越して、最初は新しいコミュニティにも顔を出し、徐々につながりをつくりはじめていた。でもほどなくして妊娠が発覚、と同時に絶対安静指示を受けて寝たきりのひきこもり。

引っ越したばかりで周りに親しい友人もいないから、さらにどんどんひきこもり、無事出産を終えてからも子が0歳のころは毎日を生き抜くことに精一杯で、自分のことなんてまるで考える余裕がなかった。

でも考えてみればそのころは、それもしかたなかったかな、とも思う。

たとえば妊婦時代は、安静にしていなければ命が守れないという背景があり、そのために自分のやりたいことをあきらめるという選択を自らした。産後は、赤子におっぱいをあげなければ赤子の命にかかわるという状態があり、24時間つきっきり体制で育児をすることを、これも自ら選択した。

だからその時期は、わたしの中ではなんというか、間違っていなかった感もある。

* * *

もっとも大きな問題は、その2年間でわたしのマインドが「自分のやりたいことをあきらめてもしかたない」というところにシフトしてしまい、それに慣れてしまいつつあることだ。

20代あれだけ「意志あるところに道はひらける」信者だった、あの自分が。

「ほんとうにやりたければ、お金がないとか時間がないとかって言いわけにすぎなくて、なんとかしようとするし、やろうとするよ」と思っていた20代。そこから一変、妊娠・出産で「自分の意志だけではどうにもならない存在」を持ち、「自分がやりたいだけではできないことの多さ」を知り、打ちのめされた2年間。

自分が今まで自分だと思っていたものはいったいなんだったのか。自宅にひきこもりながら思い出す20代の自分の光景は、どこか遠くの世界の、別のひとの話に思えた。これも新しい自分よね、と思いつつ、過去の自分といまの自分をうまく結びつけられずに、完全に自分を見失っていた。

たぶん、徐々にそれを取り戻そうというか、新しい自分のバランスをさぐろうともごもごもがいていたのが昨年、2018年だったのだと思う。

やりたいことをやる、と思って昨年の6月くらいから半年くらいもがいていたつもりだったけれど、思うようには動けていなかった。……ことを、12月のnote酒場を機に産後はじめてのひとり旅をして、気づいた。

ああ、そうか、わたしほんとはもう、もっと動けるはずなんだ、動いてよかったんだきっと、って。育児中だからとか、地方だからとか、なんか、とらわれていただけだなって。

前の2年間みたいに、お腹の中の子を守るとか、授乳期間だとか、そういう時期はやむを得ないからっていう感覚が心底身についてしまって、どうしても「子がいるから難しい」って思うことが増えてしまっていたけれど、その感覚、ぼちぼち更新してもいいころだったんだと。

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そうはいっても、今年も娘の大きな手術や長期入院が控えていたり、しょっちゅう高熱をだしたり、やむを得ないこと、命にかかわることは今だってある。

でもだからこそ、ほんとうにやむを得ない事情と重なるときをのぞいては、自分の直感を信じて、やりたいことを優先できるよう、意識的にストッパーをはずしたい。そう思っての、合言葉。

思い通りにいかないこともたくさんあると思うけれど、「わあやってみたい」と思ったことに対して脊髄反射的に「まあでも今は無理だよね」じゃなくて、まずワンクッション、「ほんとうに難しいのか?」を自分に問うようにしたい。

それでほんとうにやむを得ない、今回は無理だなと判断するときもあるだろう。それもよし。大切なのは、当然できない、一律に無理、というマインドをはずして「時と場合ごとにちゃんと検討してみる」ことを忘れないことだから。

意識的にストッパーをはずす。

合言葉を定めておくことで、どうしてもストッパーをかけがちに変わってしまった自分のマインドをちょっとでも、自分も楽しめる方向にまた、シフトさせていきたい。

自作の本づくりなど、これからの創作活動の資金にさせていただきます。ありがとうございます。