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「保育園行かせるのかわいそう」談義に思う、二項対立のモヤモヤ。

twitterでよく、「小さいうちから保育園行かせるなんてかわいそう」「全然かわいそうじゃないよ、かわいそうって思うなんて前時代的」みたいな二項対立みたいになっているのをみかけるのだけれど、そのたびにモヤっとした違和感をいだく。

なんだろうね。

べつにどっちだっていいんだよ、大切なのはその親御さんが、ちゃんと自己肯定できていることで、自分を責めて苦しくならないことで、そのためにはどちらでも、信じたいほうを信じたらいいんだよ、と思う。

100%の正解なんてないのだから。

* * *

個人的な話をすれば、わたしの場合は1歳3ヵ月から娘を保育園へ預けている。そして今では、保育園なしの生活なんて考えられないほど、保育園に預けてよかったと思っているし、その恩恵に預かっている。

自分の目だけじゃなく、他の大人の目に囲まれて子が育つというのはわたしの場合、とても大きな安心感につながっている。家では接することのできない同世代の友だちや、自分より小さな赤ちゃんと接したり、新しい遊びを教わったりすることも、わたしと家でふたりきりでいるよりよほど、彼女の世界を広げてくれていると思う。

そして言わずもがな、わたしが自分の仕事をする時間を得られたことで、わたしの心の平穏と、家庭内平和へとつながっている。

でも実際、ふりかえってみれば「保育園に預けよう」と決断するまではかなり悩んでいた。他の会社員ママさんたちと違って、「育休からの復帰」というわかりやすい期限もなかったから、よけいに「自分はどうしたいのか」を問われていたのだと思う。

そのころはわたしも、昼夜を問わず24時間体制で子育てをしていたし、授乳もあってずっと離れられなかったし、「こんな小さい子を預けるなんて……大丈夫なんだろうか……?」という気持ちも当時はあった。正直な気持ち。

でも、結局は、娘が9ヵ月くらいのころ、「やっぱり、働こう。来年の4月から預けよう」と決め、保育園見学をはじめた。

その理由は、わたしが、個人の性質として、この限られた数年間という時間であっても、「子と離れて自分のことに没頭できる時間」がしっかりとれないと、ダメになる人間だと気づいたからだ。

ダメになるというのは、しんどさだけになって笑顔が消えることだ。そして私がダメになると、子どもにも夫にもイライラして衝突してしまって、家庭にもよくない。というか、冗談じゃなく、将来家庭崩壊につながるくらいのリスクがある、と危機を感じた。

それくらい、子育て一辺倒は「わたしにとっては」つらかった。

むしろだから、尊敬するのだ。24時間体制で、1歳や2歳の子を家で育てておられる方々を。誤解のないように伝えたいのだが、これは皮肉でもなんでもない。単純に自分にはできないなあと思うから、それができる方を尊敬する。例えばわたしはサーフィンができないけれど、サーフィンができるひとをみて、かっこいいなあと思う。そういう感覚と同じで、尊敬する。

24時間体制で子育てする大変さを、少なくとも1年3ヵ月は体験してきているから、それをずうっと続けている方々にほんとうに頭がさがるというか、ひたすら、すごいよ、ほんとすごいよ、と思っている。

* * *

子どもを保育園へ通わせるか、通わせないか。

もうそれは、その親や子の性格や性質によって、経済状況や家庭環境によって、いろんなかたちがあって然りだろう?

なぜ対立しなければならないのか。

たぶんこれは育児だけの話じゃなくて、「働き方談義」とかにも通ずる考え方なんだろう。

別に、会社員でもフリーランスでも派遣でも日雇いバイトでも、そのひとの、そのタイミングにはそれがベストだと思って選んでいるものなら、それでいいじゃないか。だれがなんと言おうと。

大切なことはそのひとが、「これがいまの自分にはあってるから、こうしている」と納得できているかで、その納得さえあれば、もうそれでいいとわたしは思っている。

* * *

わたし個人としては、仕事を7割育児を3割くらいにしたいなと思うフリーランスな人間だけど、どうだそれ自由度高くて偉いだろう!とかそういうつもりはほんとうにない。

ああ、自分はほんとうに、こういう生き方しかできないんだなあ、という、いい加減人間としてのあきらめみたいなものはあるけれど。結局自分のことばっかりの、自己中人間でしかいられないんだなあとか。「親」に向いていないんじゃないかなとか。

だから24時間勤務の子育てを、2人とか3人とかまとめて育てているスーパー母ちゃんを見ると、本当に、「サーフィンできてかっこいい!」みたいな気持ちに似た羨望がある。でも一方で、自分にそれはできないなあ、苦しくなっちゃうなあ、自分には今の形が、合っているんだなあ、と思う。

結局は、ただただ、そのお母さんが(場合によってはお父さんやそれに代わるひとたちが)、「自分にとっちゃ、これが幸せなんだろうな」と思えていればいいと思うんだよ。他人がとやかく言うことじゃないんじゃない。

* * *

どっちでもいいじゃないか。なぜ対立しなければならない。

……と書いていて思ったけれど、冒頭みたいに「かわいそう」「かわいそうじゃない」と対立したがる方々はもしかしたら、「本当は逆のことがしたいけど、できていない」のかもしれない。だから、自分が潜在的に、本当は憧れてしまっている逆の状況を、攻撃したくなるのかもなあ。

でもそういうちょっとした「逆への憧れ」なんてさ、だれでもあるよね。わたしもある。自分がこんないい加減自己中人間じゃなくて、もっとあたたかみあふれる子育て向きの素敵な親だったら……とか。でも、そんなとき、

“まあそうはいっても、いまの自分にはこれがあってるな。”

……って思える、そんな選択ができる親御さんが増えると、日本はもっと息のしやすい国になる気がしている。

(おわり)


▼先日、公式おすすめにとりあげていただき、スキも100を超え、反響の大きかったnote。家庭ごとに、子育てプロジェクトのありかたは千差万別だと思っています。万人への正解なんてあってたまるか。


自作の本づくりなど、これからの創作活動の資金にさせていただきます。ありがとうございます。