新卒小学校教員が1ヶ月で不安障害になった話②先生になって子どもたちに出会うまで

こんにちは、ぽちょ山です。お読みいただきありがとうございます!今回は教員になってからいけなくなるまでを少し詳しくお話しようと思います。

教員になるまで

大学時代

もともと子どもが好きだった私は、「子ども好きだし小学校教員免許ほしいな」という単純すぎる理由で国立大学教育学部に進学し、なんとなく教員免許を取得しました。もともと「先生になる!」と決めていたわけではありませんでした。
というか、3. 4年の就活の時期は、教育系事業をメインにしている企業を受けていました。しかし、第一志望群は全敗。
教育と離れた仕事に就くぐらいなら、1度現場の教育を見てから、転職したら活かせるのではないか、と教員採用試験の受験を決意して、試験2か月前の5月から勉強を始め、なんとか合格しました。
そうして、地元からほど近い市町村の小学校教員になりました。
周りの友達は「絶対に先生になる!」と言い続けてなる子が多かったので、正直ちょっと変な経緯の子だったと思います。

4月 教員になる

なったからには!新任の決意

もちろん、もともとの夢ではなかったからといって、適当にやろうと思っていたわけではありません。
私の目標は
「誰も損をしないクラスにする」
でした。
30人近い子どもたちがいる集団を1人で見る、という学校のスタイルでは、どうしても、教員が全員を満遍なく平等に見る、時間を割くということが難しい。新任ならなおのこと。
だからきっと不慣れな私のクラスに入ったことで輝ききれない、必要な支援を受けきれない、そんな損をしてしまう子が出て来てしまう。
小学校のその1年はどの子にとっても人生で1回だけ。どの子にも充実した1年を過ごさせてあげたい。そんな気持ちで意気込んでいました。

今だから思うことは、そんなのは最低限のクラス運営をやってから目指せよ、ということです。目標が高すぎたのでしょう、はじめから先輩方に並べるわけないのに。

子どもたちに出会うまで

4月1日付で小学校教員になりましたが、初日からクラス運営!ではなく、春休み期間は引き継ぎと子どもたちを迎え入れる準備。
初日から、前年度の担任や管理職の方々から私が持つクラスの子どもたちについて、引き継ぎを受けていました。
わたしの学年は、クラス替えをしていました。それ故、前年度の学年前クラス分の引き継ぎを聞き、メモ、特別な支援が必要な子、家庭環境が複雑な子、注意が必要な子どもたちの人間関係等々、初日から本当にたくさんのことをメモし、整理し、加えて書類作りなど、本当に色々とせわしなく流れ込んできました。

わたしのクラスには、支援が必要な子に作られる書類という形にされている支援が必要だとわかっている子がその時点で8人。
詳しく書くことはできませんが、前年度の担任の先生が精神的な理由で一時期学校に来られなくなっていたことも聞かされていました。その先生のクラスにいて、渦の中心になっていた子が私のクラスにいることも、他の先生から聞いていました。

少し長くなってしまったので、続きはまた次回に。

ご注意

昨今、どの学年のどのクラスも、難しい子、支援が必要な子、グレーゾーンの子が複数人いるといいます。ですから、もちろんどの学年クラスになっても、難しい仕事だということは十分に理解して仕事に就いていました。
ですから、不安障害になったのは受け持ったクラスのせいだとは一ミリも思っていません。ただ私がだめだった、弱かった、向いていなかったということなのです。
その点ご理解できる方のみ、次回もお読みいただけると嬉しいです。

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