アドバイスした側にとって貴重なアドバイス
ジブリパークが2005年の『愛・地球博』の跡地利用であることから、別アカウントでこの万博についての簡単なおさらいをしました。
それに関連した個人がらみの話題をこちらに書きます。
県の当初案は、明らかにディベロッパー色の強いものですよね。実際、瀬戸会場は『海上の森』という県有林を切り拓いて住宅開発をする、そのきっかけとして博覧会を利用するのでは、と疑念を持たれ、反対運動も起こりました。
さて、そんなころの夕食の場 ── ちょうど、テレビでこの問題を取り上げていました。
当時、小学生だった次女が、珍しく口を開きました。
「なんで万博なんてやるんだろう? そんなことより、自然の方が大事じゃん。森の木を切ったらもう元には戻らないんだよ」
2歳上の長女はおしゃべりですが、次女はどちらかといえば無口なタイプなので、少々驚きました。
「なるほど、そうだよな。でもさ、今のお前の意見、ほら、イチ、二イ、サン、とここにいる3人しか聞いていないぞ」
私は彼女以外の3人を指さしながら言いました。
「新聞に投書して、お前の意見が載れば、たくさんの人が読んでくれるよ」
「ふーん、……書こうかな」
次女がボソッと言いました。
食後、彼女は机に向かい、親にも見せずに投稿し、それは2週間ほどして毎日新聞のローカル版に掲載されました。
『小さな成功体験』ですが、晴れやかな顔をしていたのを憶えています。
長女は、日本で両親に指導されて自転車に乗れるようになりましたが、次女は米国でひとり黙々と練習していました。
長女は日本でスイミングスクールに通いましたが、次女は米国のプールでひとり黙々と練習し泳ぎを習得しました。
私たちは次女を《独学の人》と呼んでいました。
塾には高校時代に2,3週間だけ通い、「時間のムダとわかった」と言って辞めました。
彼女は人生でほとんどのことを自分ひとりで決めており、父親として何かアドバイスしたこと、と言えば、この『万博反対投書』案件しかありません。
いや、もうひとつありました。
その10年ほど後に、1度だけ私に電話をかけてきて『相談』してきたことがありましたね。そもそも電話など初めてで、驚きました。
その2回のみです。
そのことをこうやってたまに想い出しますが、海外で忙しく働いている彼女はもう憶えていないかもしれません。
その意味では、このアドバイスは、
《アドバイスした側にとって貴重なアドバイス》
だったかもしれない ── そう思うのです。
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