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ジブリパークのある街・長久手

昨日の記事に、ジブリパークのある街・長久手についてまったく触れなかったので少々:

長久手市は大都市・名古屋とクルマの街・豊田市にはさまれた、地政学的に(というのはオーバーにしても)重要な位置を占めています。

この位置関係が重要で、唯一の欠点・公共交通機関不在問題は愛知万博と連動して建設されたリニアモーターカー(リニモ)が名古屋と豊田を結び、東名高速道路の支線も長久手に延び、利便性が増してからは毎年人口が増えています。

この長久手市、愛知県内では『すみごこちNo.1』を連続して獲得、しかも、2015年の国勢調査で住民の平均年齢(38.6歳)は日本一若かったそうです。

古今東西のクルマを集めた『トヨタ博物館』も長久手市内にあります。これも人口の多い名古屋と、トヨタ自動車の本拠地の中間地点であることが重要なのでしょう。

歴史的には、秀吉と家康が戦った『小牧・長久手の戦い』は古すぎ、よく知られてもいるのでここでは触れません。
適度に古い、私が子供の頃は、長久手村(当時)の北半分は畑作を中心とした農業地帯、南半分は丘陵地帯、とホントに何もない(というと怒られますが)地域でした。

北半分は泥炭地で、戦前は陸軍の演習場でした。
戦後はここに入植した人に農地として与える政策で引揚者などが入りましたが、まさに泥炭地故に米作に適さず、西瓜栽培が特産になるまでに多くの人が離農し去ったそうです。

南半分も、名古屋市を東西に貫く広小路通の延長が豊田まで続いてはいたものの、私が名古屋にUターン就職した40年前は、道の両側はほぼ店舗も住宅もほとんどない、ただの丘陵地帯でした。

しかし、何も無い、ということは、将来は何でもできる、ということでもあり、南側の丘陵地帯には、研究機関や大学が建設されて研究学園都市の様相を呈し始め、大きな商業施設も次々と建設されました。

2005年の愛知万博は、当初は長久手と瀬戸の両会場で実施する予定でしたが、瀬戸会場は予定された森林伐採が、
「環境博と謳っているのに、環境破壊じゃないか!」
ともっともな批判を受けて規模をほぼ長久手のみに縮小し、かつ、コンパクトで省資源な環境配慮型の会場構成(建物は規格モジュールで、参加国はモジュールの外装・内装のみで個性を発揮)を徹底しました。
この徹底ぶりはなかなか見事で、しかもトヨタ系をはじめとする地元企業の従業員・家族への宣伝もあり、連日大入り満員で最終的に黒字を計上しました。

この万博跡地が、愛・地球博公園/モリコロパークなど、紆余曲折を経てジブリパーク誘致につながるわけです。
愛知県との契約条件はわかりませんので、どちらがどれほどの取り分かはわかりませんが、事前予約のみであれほどの客数が押し寄せるわけなので、跡地としては有効利用したのでしょう。

海外からもマニアが訪れるジブリですが、1週間前に日本テレビホールディングスの子会社になる、との発表がありました:

ジブリの鈴木敏夫社長は木曜日の記者会見で「1人の人間が背負うにはジブリは大きくなりすぎた」と語った。「個人ではなく、大きな会社の力を借りない限りうまくいくことはないと考えた」

ジブリ、日テレが子会社化 - 日本経済新聞 (nikkei.com)

創作を核とするビジネスって、やはり、個人に依存している度合いが大きく、その個人から個人にバトンを渡すのも難しいのでしょうね。
いや、いずれはアニメも生成AIが創作を担うことになるのかな?

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