7年目の浪人生活を送る《長老》は、なんだかうれしそうに「キミ、それは五月病だよ」と言った(エッセイ)
Note記事を読んでいて、インスピレーションが湧いたり、記事関連で想い出したことがあったりしてコメント欄に書き始め、長くなりそう&ほとんど自分の話になりそうな時、コメントよりも記事にしよう、と思うことがあります。
私の好きな作家・螺鈿人形さんの記事(と表現したのは、創作なのか随筆なのか判別し難いことが多いからです ── 判別しなくていいのですが)の中に《五月病》という言葉を見つけました。
「キミ、それは《五月病》だよ」
18歳の時、私はそう言われました。
「はあ……」
大学に入学したばかりの私は連休明けごろから講義に出なくなり、部活(少林寺拳法部)だけのために通学していましたが間もなくそれもやめてしまいました。
(結局、そのまま留年しました。関連話は末尾に)
大学に行かずに何をしていたかといえば、
……詳細は、まあ、やめておきましょう。
上京して住むことになったアパート下宿で(この1年に起こったことは、商業誌に発表済の小説に書いていますが……)酒と麻雀と異性との日々を過ごしていました。
そのアパートは、大家が浪人して苦労したこともあり(結局、防衛大1期生となった)、浪人生しか入居させない基本方針でした。
私が酒宴を共にしたアパート仲間も、3人が3浪を経た末の1年生(誰も親からの援助はなし ── まあ、当然かも)と2人の同い年の浪人1年目でした。
3人の3浪後1年生はおそらく、このアパートで他の2人と出会わなければ、もっと早くなんとかなっていたことでしょう。
それはともかく、このアパートの1階には奇妙な人物が住んでいました。
牛乳底のような厚い眼鏡をかけ、着古したポロシャツとダブダブのズボン、そのズボンのベルトの位置には、荒縄が通っており、ヘソの位置でしっかり結ばれていました。
その時24-5歳になっていた彼は、18歳の私からはもちろん、21歳の3浪トリオからも、立派な ── というか、隔絶した、
《長老》
でした。
《長老》は自分のことは一切語らなかったけれど、3浪トリオの話では、その年、7年目の浪人生活に入った、ということでした。
「7年! ……ホントですか?」
「ああ……。親は医者でな。最初は医学部ばかり受けていたらしいんよ。近頃は医学部にこだわらなくなったらしいんだけど……あちこち受けても……なあ」
《長老》の弟は、既に大学を出て働き始めている、との噂でした。
私の姉がアパートに遊びに来ると、なぜか《長老》はいつも部屋に現れ、なんだかんだ説教じみたことを言うのでした。
そして、連休明けに私が大学に行かなくなったことを知った《長老》は、廊下で告げたのです。
「キミ、それは《五月病》だよ」
《長老》はなんだかうれしそうでした。
「はあ……」
私は自分の四畳半でそれなりに楽しく暮らしていました。
けれど、
・学校に行かなくなり、
・それは5月だった。
否定する材料の特にない私は思いました。
(……そうかもしれない)
── 翌年3月、再契約を拒まれた私はアパートを出ると共に学校生活に戻ることを決意し、《長老》は8浪目に突入することが決まりました。
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