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讃岐國・藩が地方に残したもの(旅で★深読み)

津山に立ち寄った後、研究室同窓会開催の丸亀へ。1日目は壮麗な丸亀城に登り、丸亀ゆるキャラに会った後、地酒三昧、2日目は金毘羅さんに行き、うどんを食べました。

金毘羅さんとJR琴平駅の中間に琴電(高松琴平)琴平駅があります。前回も乗ってみたかったのですが、その時以上にガラスキでした。

琴電琴平駅の改札

金毘羅さん参りが盛んだった戦前は、高松から琴平に来るこの琴電の他に、坂出からの琴平急行電鉄、丸亀から、そして多度津からの琴平参宮電鉄、とかなりの過当競争で、戦時中にこのふたつの会社は「不要不急路線」に指定され、レールも軍事用に供出させられ、営業中止に至ったそうです。
現在のJR四国の苦境を目にすると、むしろこの時期に撤退した(させられた)のは正解だったかもしれませんね。

琴電車内で面白いポスターを見つけました。

新聞編「(車内が)混んでいるので小さくしてください」
歩きスマホ編「周囲を見てみなさいよ」

いやいや、まだまだずらりと網棚の上に並んでいます。

《さぬき弁のマナー講座》です!

スポンサーは「ことでん」ですから、どこからも広告料は入りませんが、「東京弁」で書かれた無味乾燥な「注意書き」よりも、ローカル私鉄らしくていいじゃないですか!

ただ……「せっとるけん」という状況は現れるのだろうか、朝夕の通勤時ぐらいはそうであって欲しい、と思いました。

ことでん3路線のうち、この琴平線は、高松港と金毘羅さんを結んでいます。全時間帯1時間に2本のこの線にギリギリ間に合ったのは幸運でした。
さて、各駅に停車するのをじっと我慢し、19番目の駅、栗林公園で降りました。たぶん、19歳の時に以来の訪問です。

前回紹介した「中津万象園」は丸亀藩主・京極氏が海沿いに作った回遊式庭園でしたが、ここは高松藩主・松平氏が紫雲山の東麓に造った、やはり回遊式の大名庭園です。

紫雲山をうまく背景に利用した正門

思うに、京に天皇家、江戸に徳川幕府はあるものの、各藩はそれぞれ独立した行政単位であり、それぞれ、こんな庭園を造ってそれなりに王侯貴族的な時間を送っていたわけですね。他国の大名や、ましてや将軍がやって来ることはなかったでしょうから、かなり純粋な「自己満足」として藩主が造らせたのでしょう。

中央から総務省の天下りを受け入れ、頭を下げて交付金をもらわなきゃならない現代の都道府県より、幕藩体制下の「地方自治」は進んでいたのかもしれませんね。
藩主が立派な庭園を造る一方で、農民は重税に苦しんでいたのでしょうが……。

「ことでん」の中で「さぬき弁」を学びましたが、それぞれの藩が半ば小さな独立国だったから、江戸期を通じて方言も残ったのでしょうね。

司馬遼太郎が江戸時代の幕藩体制を、明治維新ですみやかに新体制に移行できた要因として、かなり肯定的に捉えていますが、地域文化が育った点でも大きかったと思います。

園内には「薬園」もあり、平賀源内が初代の「薬園頭」だったとか。
先日の「ブラタモリ」で、栗林公園の池は、豊富な伏流水によって成立している、と言っていたっけ……。
庭園の維持管理費はかなりのものでしょうね。観光客数はまばらでしたが。

栗林公園を正門から北門まで横断し、JRの駅から乗ります。
吹きっさらしのホームは寒く、ジジイを警戒して近寄らない女子高生と二人、なかなか来ない電車を待ちました。

右の絵看板がなんだか面白そう!

確かに、遠方からやってくる観光客などもうあてにせず、中高生カップルのデートスポットとして売り出す方が賢明かもしれません。

高校生カップルらしいイラストがいいじゃないですか!

この日は結局、17,000歩以上歩きました。
高松で高徳線から予讃線に電車を乗り換え、丸亀に戻りました。ホテルでシャワーを浴び、夜の宴会に備えます。

この後は……

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