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紙の上に書かなくなった [1/2]

新卒で企業の技術開発部門に入った頃、報告書は手書きだった。設備導入の提案資料も手書き、そして顧客や会社上層部向けプレゼン用ポスターも、もちろん手書きだった。

そこでは、読みやすい文字を書き、わかりやすい図(「ポンチ絵」と称する実験工程や設備の間略図)を描く能力がとても重要だった。

特にポスターの場合は、いわゆる「上手な字」ではなく、「わかりやすい字」あるいは ── かなり恣意性はあるが ── 「読みやすい字」もっと言えば「愛嬌のある(Friendly)字」が好まれた。
例えば《HGP創英角ポップ体フォント》的な文字:

プレゼンのスライドにもよく使う

確かにこんな感じの文字をマジックインキで模造紙(愛知・岐阜では「B紙」と呼んだ)に書いていった。

高校時代以来、私の肉筆は、「読みやすく、愛嬌がある」と友人に言われていたが、その文字が、社会人になって「市場価値」が高いことに驚いた。自分の成果ポスターはもちろんだが、別テーマで発表する資料作りでも上司から助力を頼まれた。

図を描く能力も重要だった。こちらはデザインセンス ── どの装置・どの工程をどう強調し、どう表現するかに加え、説明をどう付けるか ── 《配置能力》がキモだった。

ある時期から(1990年代前半)これらの《職人技》は、ワープロソフトや図表作成ソフトに置き換わった。

1984年、世界初のポータブルワープロ開発者に、
「これを使っていると、漢字が書けなくなりませんか?」
と尋ねたら、あっさり、
「はい、書けなくなります。それでいいんです。いつもこれを使うようになりますから」
と言われた(↓)。

漢字が書けなくなるのは、《退化》ではなく、《進化》!

ただ、ワープロ機能を常に使い、「紙の上に書かなくなった」ことで、気になることもある。
たまに文字を書く必要性に迫られた時に、漢字が出てこないことは、まあ想定内として、

《限られたスペースにうまく文字列を収められない》

大きめの字で書き出したため、最後のあたりが異常に小さくなったり、無理に2列目を作り出さねばならなくなったり。(うーむ。……これは、アタマの中でイメージを描く能力が減退しているのではないだろうか?)

先日、手塚治虫氏が1980年代に驚くべき速度でマンガを描いていくシーンをNHKが放映していた。アシスタントに下りてくる原稿は、ほとんど直しの跡が無い。
脳内でほぼ(かなり細部に至るまで)マンガが完成しているのだ。

これと同じように、原稿用紙に直接書いていた頃の小説家は(多少の推敲はあるにしろ)脳内でかなり文章を完成していたことだろう。

今は、PCのワープロ機能にざっくり物語を流し込み、その後にダイナミックな校正をかけることができる。
物語の「脳内完成能力」の相対的重要度は低下した。

……と、ここまでくると、「文章作成AI」についての言及を期待される方もあるでしょうが、そこには触れません。

紙の上に書かなくなった ── それは、
《書きながら思考する》
というわざにもつながっているように思うのです。


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