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紙の上に書かなくなった [2/2]

ワープロ、PCの普及以来、紙の上に文字や図を書く/描く機会が減りました。人類は《進化》している?
── として、副作用もある?

高校の数学教師をしていた友人が、毎月ニュースレターをメール添付で送ってくれる。そこに、雑感と共に、毎号1問ずつ数学の問題が出題される。
頭を使う、愉しい時間をすごし、解答案をメールで返送する。正解は翌月のニュースレターに載っている。

彼のオリジナル問題ではなく、出典も書かれている。

例えば、ある月には(➀)、

正三角形ABCの辺CA、AB上にCP=AQとなる点P、Qをとり、線分CQとBPの交点をRとする。このときの角BRQの大きさを求めましょう。

また、別の月には(➁)、

次の計算のひらがな(下図)に、0から9までの整数を当てはめてください。ただし、同じ文字は同じ整数になるように。答えは、一つとは限りません。

問題に向かっていて、ある時、ふと気付きました。

《紙の上に書かなくなっている!》

小学校以来、算数・数学に限らず「問題」は紙の上に書いて/描いて出題されました。
四則演算のような単純な問題はそのままアタマに浮かんだ解答を書きますが、少し複雑になってくると、問題用紙の端に、問題を整理したり、筆算のように「中間プロセス」を書いたりして答えに辿りついたものです。

特に➀のような幾何学問題では、図を描くのは必須でした。

➁などは、
『た=1』
と書いた後、
『か』の条件をその横に書きます。

もちろん、私もそうしました。
でも今は、紙の上に書く/描くのではなく、PC上で書いて/描いています。それは、解答もメール文内だったり、添付ファイルで送るので、言わば、
「紙の上に書く/描く」
という1工程を減らしているわけです。

そういえば、実験ノートも、いつの間にか紙の上よりPC中のエクセルファイルに書き込むようになっていたっけ……。

例えば小説のアイディアを思い付いた時も、以前のようにメモ帳に走り書きをしなくなった。
スマホのメモ機能に単語を打ち込んではいる ── それは、かつての「走り書き」と同じだろうか?

「工程」は減っている ── でもそれは、「書きながら考える」工程が失われた、ということでもある。

この「工程」の喪失は、「考える」ことに、その「質」に、影響を与えていないだろうか?

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