見出し画像

肩こり持ちの14歳が28歳で整体師になって開業するまでの話。#3

『自分の存在価値って何?』
いかにも中二病な悩みです。多くの10代が悩むように、もれなく私もその不安に取りつかれていました。

***


私の存在価値って何だろう?

考えても考えても、自分の中から出てくる答えはいつも同じでした。

『そんなものは、ない。』

自分に価値がない、ということは『誰からも必要とされていない』ということだ。
自分がただの穀潰しとしか思えなくなって、強烈な焦りと恐怖を感じました。

とにかく、誰かの役に立たなくては。必要とされなくては。
価値なんかなくても、せめて自分が食べていくだけのお金は稼げるようにならなくてはならない。そのためには、仕事を持ってはたらかなくてはならない。
でもこんな私にできることなんてあるのかな……
いや、よく考えよう。
今は何一つ自信をもって「できる!」と言えることなんかないけど、もしかしたら、何かの能力を身につけることはできるかもしれない。
じゃあこれから身につけていくとしたら、何ができそうだろうか?


恐らくこれからコンピュータや機械が発達して、単純な仕事は人間ではなく機械がやるようになるだろう。どれくらいの速度でそれが進むかはわからないけれど、中途半端な能力を身につけているだけではきっと生き残れない。
これからは多分『人間にしか出来ないこと』や『人間が人間に行うサービス』の価値が高くなっていくんじゃないだろうか。

その時にパッと思い浮かんだのが、肩もみでした。

時々家族や仲のいい先生にやってあげると、すごく喜ばれました。私には小学生のころから肩こりがあったため、どこをほぐされると気持ちがいいか、を少しだけ知っていたのです。
そして、手先の器用さには自信がありました。手芸、ピアノ、絵を描くことなど、自分が好きだと思って没頭できるのは、自分の手で生み出すことばかりだったのです。

自分の手を使ってできること。
没頭できて、努力することが苦にならないこと。
そして誰かの役に立てて、必要としてもらえることが仕事にできたなら、こんなに嬉しいことはない。
それってもしかして『整体師』なんじゃないだろうか、と思ったのです。

なぜ鍼灸師や柔整師ではなく『整体師』だったのかはわかりません。
当時はそれらのなり方もわからず、それぞれがどんな療法を扱う人なのかもあやふやでした。
それでも何となく、整体師=体の歪みがなおせる人、という認識だけがありました。そして、肩こりや痛みのようなものは、筋肉をほぐしただけでは完全に良くならないことも。もしかして、骨とか関節が変わってくれたら、肩こりってなくなったりしないだろうか?という、根拠のない骨や関節に対してのこだわりがありました。

きっと、整体師として生き残りたいなら、『なぜ肩がこってしまうのか』がわかるようにならないとダメだ。

その時に自分の指を触りながら、関節ってどう動くのだろう?と、わからないながらにずっと観察していたことをよく覚えています。


***

その後、進路希望調査票には整体の専門学校の名前を書き……というストーリーであれば簡単だったのですが、現実はそううまくはいきません。

専門学校に通うとしても、高校は卒業しなくてはなりません。とにかくすぐにでも働けるようなスキルだけでも身につけておかなくては、と第一志望には地元の商業高校の名前を書きました。でもそこで「なぜ進学校の名前を書かないのか?」と親にとがめられたのです。
『褒められること』しか考えていなかった私は、不本意ながら、中途半端に成績がよかったのです。普通に考えれば、進学校に入って大学に通わせることが親の務めであると、両親は考えたのでしょう。

大学まで通わせてくれた両親には、今思えば感謝しかありません。でも当時は、どうして自分の進路を自分で決めさせてくれないのか、と初めて明確な反抗心が芽生えました。結局は親の判断に従って進学校に進むことになるのですが、この時に必死に考えたことが、ずっと記憶の片隅に残り続けます。

そしてその記憶は、この14年後に呼び戻されることになるのでした。

次回に続きます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?