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肩こり持ちの14歳が28歳で整体師になって開業するまでの話。#2
『整体師だったら、やっていけるかもしれない』
漠然とそう思ったのは14歳の時でした。
でも実際にその道に足を踏み入れるのは、そこからさらに14年が経った後。
ではなぜ唐突に、そんなことを思ったのか。
……その理由を話すためには、ずっと見ないフリをしてきた「自分のいやなところ」をさらけ出さないといけません。
***
中学2年生の時、担任の先生から進路希望調査の紙が配られました。
手に持ったわら半紙のざらついた感じや、教室の窓から見えた薄曇りの光を今でも覚えています。
第一希望から第三希望までの志望校を書くための紙。
三つ並んだ横線の上に、私は何も書けませんでした。
私は一体、何になりたいのだろう?
小さい頃の私は、規範意識が強すぎる子供でした。
2人の弟の手前、おねえちゃんとしてしっかりしなきゃいけない。大勢の人がいるところでは、静かにしていなきゃいけない。勉強は全部100点を目指さないといけない。
実は、これらを親から言われたことは一度もありません。
それでも私は、目に見えない規範におびえ、忠実にそれをなぞりながら毎日を過ごしていました。
なぜか?
――だってそうすれば、みんながほめてくれるから。
私は常に褒められることに飢えていました。
親や教師、近所の人、親戚、友達の親、習い事の先生。身近にいる大人たちの顔色を常に窺って、「気が利くねぇ」とか「えらいねぇ」を言ってもらうことを求めていました。正直それ以外のことは考えていませんでした。
弟の面倒を見ると褒めてもらえる。テストで100点を取ると褒めてもらえる。家事を進んでやると褒めてもらえる。落ちているゴミを拾うと褒めてもらえる。ちゃんと家で練習してくると褒めてもらえる。
そうやって大人に褒めてもらうと、心が満たされました。
でも心に満ちたそれはワタアメみたいなもので、とても甘いけれどすぐ溶けてなくなってしまいます。だからいつまで経っても心はスカスカで、満たされないままでした。
そうやって過ごしているうちに、いつの間にか私の中では「褒められること」そのものが、存在理由にすり替わっていたのです。
「誰からも褒めてもらえない」ってことは、「存在価値がない」ってことだ。
自分で勝手に思い込んだ強迫観念の中で、いつも正解を周りの人の中から見つけようとしていました。
一体私は、何になりたいのだろう?
自分のことなのに、なりたいものもわかりませんでした。
私はここに何を書けば褒めてもらえるのだろう?正解は?模範解答は?
恐らく今の私の成績だったら、この紙の一番上には進学校の名前を書くべきなのだろう。でもそれは正解なのだろうか。周りの大人の思っていることを察すれば正解なのかもしれない。
でも、私にとっては?
私は一体、何がしたいのだろう。
そう思った時に、今までやってきたことが、すべて薄っぺらい嘘にしか見えなくなってしまったのです。
私が人に誇れることは何もありませんでした。
だって今までやってきたことは、「私がほんとうにやりたいこと」じゃなかったから。
本当はもっとわがままを言いたかった。勉強なんてしたくなかった。お皿洗いよりテレビを見ていたかった。空き缶を蹴っ飛ばしながら帰りたかった。ミスタッチするたびに怒鳴られるピアノなんてやめてしまいたかった。
私は、ただ「褒められたいだけ」なんだ。
自分の小ささと意地汚さに気がついて、一気に恐ろしくなりました。
自分のことを、自分で決められないなんて。
今まで、なんてことを繰り返してきてしまったのだろう。
私の「存在価値」って、何だったんだろう。
このままじゃ、ダメになる。
「褒められること」以外で、自分の価値がわかる何か、を見つけないといけない。
でもそれって、なんだろう?
そんなものがあるのだろうか?
次回に続きます。
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