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痛みに対する恐怖とその地味な対処法

痛みに敏感であるのは、その通りなのだが、体がいたむことへの恐怖心が大きいことも手伝って、たびたびオオゴトになる。大げさだと家族(特に母)に呆れられてきたが、どうしようもない。言葉から連想が広がり、とどまることを知らない創造力が翼を広げる。大きく羽ばたく。

例えば大学時代。簡単な手術をすることになり、血液の止まり具合を検査した。これでちょっと耳たぶを切って血が止まるまでの時間を計ります、とにっこり説明をしてくれる看護師さん。耳たぶを小さなカッターのようなもので切られただけのことだが、その言葉から恐怖心はむくむくと成長し、カッターの音にとどめを刺される。気持ち悪くなり、車いすでお会計フロアに移動することになった。

とにかく注射がダメで、採血のたびめまいを起こす。針が自分の体に刺さっていて、血が抜かれているという事実が重い。決して針の方は見ず、心を無にする。そういうときに看護師さんが、血管細いですねえとか、今ちゃんと刺さりましたからねとか、あと少しですよとか、言葉をかけてくれることがある。それこそが悪の根源である。と、大人になって確信を得た。今は事前に、何も言わないでください、とお願いしている。健康診断時に気分が悪くなり、看護師さんからは、次から!横になって!採血を!とアドバイスされたので、よっぽど自信があるとき以外は、横になっての採血をお願いすることにしている。

婦人科系の検査も注意が必要だ。よりによって不妊治療を行うことになり、内視鏡検査やら子宮環境検査、採卵、胚移植とさまざま経験した。信頼できる医師に出会ったこと、そして、その頃には言葉で説明されることがすべての元凶だとわかっていたので、何も言わないでほしい旨お願いをして、事なきを得た。看護師の妹からすると、治療内容を聞かないなんてありえない、らしい。しかし、聞いてしまうとその時点で失神なのだ。

高度生殖医療については、事前にDVDを見るように指導されたが、手術室でのシーンに突入したところで断念するしかなかった。採卵は全身麻酔一択。それだって、麻酔薬を入れるための点滴ルート確保の段階で、半分あの世に行きそうになる。飲食せずにたどり着いたクリニック、早朝、緊張した患者(私)…最悪である。術後、全く痛くなく出血もほとんどなかったことが、どれだけ救いだったことか。ちなみに、ルート確保が一回で成功したことはついぞなかった。

不妊治療といえば、自己注射、かもしれないが、どう考えても、いや考えようとした時点で、無理だと悟った。想像しただけで気持ちが悪くなる。毎日通った。採血よりはマシだったのは、打つ場所のおかげかもしれない。お尻が一番痛くないという噂を聞きつけ、できるだけお尻に、そしてお願いしづらいときはお腹に、目を閉じて打ってもらった。

とにかく、言葉で体に施されている何かを説明されてしまうと、そこに神経集中してしまう。来るぞ来るぞという気持ちが、より一層敏感に異変を感知させる。できる限り心を無にし、言葉を追い出す他術はない。最近は、数を数え続けることにしている。もし、私と同じような方がいたら、試してみてください。

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