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閑話休題:月頭月末戦史おさらいと著者小話

とりあえず、月末戦史一周年、兼、同人活動十周年ということで、エディターズノート的なやつです。hajimemasite Season 2の記録。自分の言葉も、自分の為に残さないとだからね。

いきなりだけど、閑話小話。月頭戦史、実は語呂がゲットーで嫌なので、やれるなら月末にしたいんだけどなぁ、という思いはあるけど、実際人生的には月末って忙しい時期だから月頭になっちゃうんだよなーという思いはあり。

第一回:ある米軍戦車大隊長のLorraineの記憶

コミケの宣伝ついでに始められた月末戦史の記念すべき第一回。元々、コミケで一冊の本にするほどではないけれども、興味がある戦史やその他事象の記事を書きたいなー、というのは常々おもっていて、それの

このLorraineのお話も、コミケ記事でリサーチしてて、途中で見つけた面白いお話で、このお話を埋もらせるのは勿体ないな~、との思いから出たり。未来の参謀総長が現場に居た頃に、未来の業績の元となる戦闘とか、絶対おもしろいでしょ?

一応、毎回裏テーマみたいなものを設けていて、今回は、シャーマン戦車について。歴史家のZaroga氏や、日本ならミリタリーヒストリーブロガーのなつき氏がまとめられている『シャーマン戦車はパンターに劣るのか?』みたいに、いうほど悪い戦車じゃなかったとの意見がある一方で、兵士たちはかくも散々に言われているシャーマン戦車。真実はだいたいスペクトルの中間にあるのだけれども、とりあえず、軽いジャブ的な?

ザロガがシャーマンが悪くないと主張する論拠である、第四機甲師団の大隊長の一人であり、かつ、後の参謀総長という、それなりの優秀さの保証があるような人物ですら、酷評したくなる戦車というのは、やはり敗戦に次ぐ敗戦に付きながらドイツの戦車兵に愛されたタイガー・パンターに比べ、やっぱり見劣りしてしまうよなー、という意見は否めず。

閑話小話:ちなみに、これもトゥィットゥァーで書いたお話なのですが、そもそも戦史なんだけども、エンターテインメント性の高い文章にしたくて(スランプに陥っていた時期の文章、やっぱり自分でも読んでて面白くない)、そんな感じに書いています。読後感も、短編的な?なので、一般戦史フォーマットとかよりも、ここは結構ミステリーっぽく書いたり。ほら、西尾維新アイコンなので。「あなたが知っているんですよ、阿良々木先輩」。扇ちゃん、西尾維新キャラの中でも一二を争うレベルで言葉回しが好きです。

第二回:『大祖国戦争における空軍の役割』著:アレクサンドル・エフィモフ空軍元帥

色々と書きたいテーマがくすぶっていたので、どれを書こうかな~、みたいな部分はあったのだけれども、最初が西側米軍だったので、次はロシア語圏を描きたいなとおもって、こちらに。

帝政・ソ連時代のロシアあたりで、書きたいと思っているテーマは日本語の紹介記事がやっぱり乏しいこともあって、かなりあって、その中でも、それなりにオーディアンスがいそうなソ連空軍をまず最初に。

で、やっぱり物事の話っていうのは、順序が必要で、細部の話から始めるのも悪いとは言わないけれども、大枠のお話から始めたほうがベターではあるとは思っている。そういう意味で、まずはドクトリン的な話からするというものは結構理にかなっていると、自分では思ってたり。

最初は自分自身でソ連ドクトリンのまとめをやろうかなともおもっていたのだけれども、ちょめちょめ探していて出くわしたこのエフィモフ空軍元帥の文章が、かなりよくまとまっていたので、そのまま翻訳しちゃうことに。

こいつの裏テーマは、ちょっと長くなるのだけれども。そもそも論の、個人的な興味として、「第二次世界大戦において、所謂損耗比において、ソ連軍はドイツ軍に圧倒的に劣ったのにも関わらず、最終的な勝利を得た。これらが身も蓋もない人海戦術によるものであったというパウル・カレルらによって描かれた神話は、作戦史の次元ではグランツやフリーザー、テッペルらの著作において少しづつ覆されつつあるが、それ以外の次元では、未だにドイツ軍の神話がそれなりの強さを持っている。特に、戦車、戦闘機の単体技術とスコアが物語るその次元での神話はかなり強固と感じていて、ドイツ軍エースパイロットのスコアの真偽などは、昨今の戦争の結果、おそらくロシア側のアーカイブが我々の生涯くらいの期間は閉ざされるが故に、証明不可能であろう。しかし、それでも、それ以外の部分に関しては可能な部分に関しては、語らなければならないのではないだろうか」的な話があって。その話の一例となりそうな事例を探していたり。このエフィモフ空軍元帥のお話は、まさにその一例な上、開戦時の圧倒的劣勢期から、終戦までを包括的に扱うもので、その意味でも、やっぱり良い文章だなって。

ドクトリンそのものとしては、一部でソ連は第二次世界大戦中に制空権を理解しなかったと批判されるのが、やっぱりそんなことはないよねー、みたいな。尤も、ドイツ軍より空軍の陸戦に対する従属率と数的優位への依存性が高いのは事実で、個々の空戦での力量差はある程度認識した戦いを行っていたのかな、という気はする。特に、ドイツ軍がそこまで重視していなかった空軍の地上での撃破を(エフィモフ自身がそれの専門家だからという側面はあるせよ)最後まで追求したのは面白い。空で撃破しようが、地上で撃破しようのに社会主義的合理性を見出すのは、考えすぎだろうか。また、ソ連の空軍ドクトリンにて、作戦規模制空権と戦略的制空権という二種類の制空権の概念があるのは面白い。戦力の集中によって、決戦点での制空権を得る、作戦規模制空権と、もはや敵軍の航空戦力が十分に弱体化した為、敵は陸戦へ介入できず、むしろ友軍の支援の為にこちらが何をできるかという段階と捉える、との考え方はソ連の装備、戦術がなぜああなったかを考える上で、結構重要な感じがする。そもそも制空権を地上戦への介入能力と規定しているのも、やはり陸戦重視的な側面は感じる。

アサドによる自由主義者たちの弾圧をプーチンが支援して以来、プーチン・ロシアが行ってきたあらゆる行動は批判にさらされねばならず、また、プーチン・ロシアによるウクライナ侵攻後はそれは強まった、とはいえ、一方で、ロシアという文化圏全体も否定されるべきではなく。特に、プーチン・ロシアによるプロパガンダと内外への情報統制の結果、プーチン・ロシア以外のロシアというものが急速に失われつつあり、いつかはきっと今アクセスできる情報、アーカイブなどもきっとアクセスできなると考えると、今、プーチン・ロシア以外のロシアを語ることは重要かな、と。シベリア横断鉄道で、同じ客車に乗って、2日3日共にした、ロシアの若者たち。「お前は軍役を経験したことがあるのか?」と問うてきて、ない、と答えたら、嘲笑ってきた、彼らとて、その嘲笑が今、彼らを惨たらしくウクライナの大地で誰とも分からず血煙にさせるほどの大罪ではなく。
シリアよりは他人事でいれはするものの、とはいえ、ね。

第三回:英第二十一軍集団内の人間関係:MontgomeryとO'Connorの場合

米軍、ロシアと来たら、私的には英軍をやらないといけないという謎の使命感があり。ちょっとこの時締切に少し追われていたこともあって、既に某所にて一部乗っけていたこの文章を乗っけることに。

結構、この時期の英軍っていうのは、強い興味があって前々から調べている部分で、マーケット・ガーデン戦(特に地上軍のガーデン作戦)を主としたノルマンディー上陸以降の英軍史というのは、かなり興味深い部分で、本当に色々な要素がジャストバウトなので、ここは正直書き始めたら書ききれないので、割愛!

この記事に注視するなら、やっぱり、MontgomeryとO'Connorって二人の人物を中心に話す必要があって、これまたトゥィットゥアーでも書いたのだけれども、上部組織による指揮統制の代表格として語られるMontgomeryと、委任戦術的な戦い方を行ったO'Connorでは機甲師団の指揮官たる人材に求める素質が真逆だったのが面白いと思ってたりする。

Montgomeryは猪突猛進な指揮官を好む一方、O'Connorは緻密な作戦の遂行ができるのを好んでいて、。真逆なのもさながら、一般的に指揮統制といえばMonty、委任戦術の機甲戦といえばRommelのような猪突猛進な指揮官を想像するのだけれども、彼らのそれとは逆のスタイルを部下として欲しがったのは、結構考えさせられたり。

この差異は個人的には、戦訓から、自身の作戦遂行のスタイル上、指揮統制を発揮すると作戦が停滞しがちであり、故に必要に応じ主導権を発揮できる指揮官を求めたMontyと、元々指揮官がリスクを取る委任指揮では必要以上のリスクを抱え込む必要はないからと、O'Connorは緻密な作戦の遂行能力を求めたことの差かなと考えていて、このWW2英軍の指揮統制ドクトリンと委任指揮の萌芽的な話はこれまたいつか書きたい話だったり。(一方で、中途半端な記事にはできないので、難しさはあるのだけれども)

ちなみに、今書いたようなことのようなこと、これ系の話は基本的に文章に残らないので、状況証拠を積み上げるしかなく、そこら辺は結構できるようになってきて楽しいと感じていることだったり。

そもそも、Season 1とSeason 2間のスランプ期の私は、状況証拠を積み上げたとしても、明言されていなければ、断言しなかったものの、今の私は状況証拠が十分に積み上がっていれば、言ってしまってもいいのだな、と思い書けるようになったのは、Season 2での大きな差ですね。

閑話小話:今更だけれども、結構、戦争はあくまでも人間の集合体によって行われるので、故に戦争が、人に集約される部分は大きく、其れ故に、人の相性や単純な誰々が好き、誰々が嫌いっていう人間関係が左右する部分は大きいっていうのは、 存外に見過ごされがちな部分だなって。そもそもえっちなゲームとかが好きなことからわかるように、人間関係が結構好きなのだけれども、それ故に、軍隊における人間関係というものが好きで、そういう話を、と。

第四回:『戦争の終わらせかた:ウェストファリア条約締結におけるヴェネチア共和国の役割』

これまでの記事が第二次世界大戦に集中していたのもあり、興味の方向をちょっと過去の方向に戻し、元の専門の中世(というよりは近世だけど)へ。

戦争の終わらせ方、っていうのも結構気になっているテーマではあって、三十年戦争以外にも、第一次世界大戦がなぜ終われたのかや、ベトナム・アフガン撤退なども何時かは書きたい話ではあったり。

とはいえ、この記事自体はちょっとあまり上手く書けていない感は否めず、(そもそも参照できる史料が少ない上に偏りがあったので)戦史でないというのを差し置いても、リアクションが少なかったのは納得感。ただ、人物的な側面にフォーカスした記事ももうちょっと書きたいという思いはあるので、またこれ系は挑戦してみたいですね。

閑話小話:これも、トゥィットゥァーでも書いたのだけれども、Blacksheep Townっていうゲームをやって(それの感想的なさむしんぐこちら)話し合うってとっても大切、と思い書いた記事だったり。
進撃の巨人で一番好きなセリフは「まだちゃんと話し合ってないじゃないか」です。

第五回:『ダルゴに散る:ロシア帝国の1845年のダゲスタン遠征』

実は、月末戦史シリーズで一番気に入っている記事だったり。

hajimemasite Season 2はドクトリン的なものがから、戦略、作戦がどう立案されたか、それは現実の戦例を受け、どう修正されたか。そして戦場の兵たちがそれをどう受け止めたのか、そして最終的にそれがどう語られたかまでを描きたくて。

マイケルハワードが"Military Science in an Age of Peace"で書いている通り、結局戦前に練られたドクトリン的なサムシングは、その他あらゆる計画と同様、敵との接触に耐えうるものではなく、実際の戦闘になったらそれらは訂正を必要とし、一方で、実際の戦場は、ドクトリン的な単純な世界ではなく、銃弾と砲弾と恐怖と勇気が支配するカオスで、そしてその中間に立つ人間がその学習と、訂正の主因となるのだけれども人は、人で。

別の言い方をするならば、紙面から戦場までを連続的に扱いたいのかなと思っていて、この記事ではそれがこれまでの中でも、一、二の出来の良さかなって。

裏テーマというほどじゃないけれども、ある種、これもウェストファリアの話以上の人物史で、ヴォロンツォフ大将が事実上の主人公を張ってて、ヴォロンツォフの一人称でこの作戦を描けたのは、少し物語的な面白さとしてよかったな、と思っていたり。

このヴォロンツォフ、後にこれまたテーマにしたいと思っているスヴォーロフ元帥の高弟の一人だったりしたり。このスヴォーロフについては、この後議題にしたので、後述みたいな。

閑話小話:当たり前ですが、「ロシアの最高指導者が自ら考えた戦争計画を行えば短期決戦により勝利が得られると考え、精鋭部隊を敵首都制圧に直接送り込む話」を描いたのには、まぁ、意図はあります。プーチン・ロシアが行ってきたあらゆる行動は批判にさらされねばならないので。とはいえ、なぜロシアはこのような行為を繰り返すのかっていうのは、ちょっと考えさせられる一方、ロシア的なリジリアンスというか、このような失敗をしてからも二十年戦い続けて、結局コーカサスを平定したっていうのも、結構示唆的。結局、コーカサスへの継続した支援がなければ、最終的にはロシアは征服事業を完遂してしまうという。

第六回:「『浸透戦術』という幻」

おそらく、最近のフォロワーさんの殆はこの記事から入ってきたんだろうなー、といった記事。

ここ数年、(正確には"Blind Strategist"を読んで以来)自分の中で、「機動戦対消耗戦」の軸の対立というのが再燃していて、上にボイド的な、OODA的な理論を少し信じきれないでいるという部分があって、そこの話をしたかったのだけれども、それを語るにおいて、起点をどこにしようかなーと思っていて。そして、色々考えて、ほぼあらゆる現代軍事の起点はやはりこの大戦争に行き着くなとなり、そしてそれの中でも書くべきテーマは、と考えたときに、『浸透戦術』という幻だな、と。

ただ、このシリーズの他の記事と違って、やはりこのテーマを書くのは締切に追われつつの生半端な気持ちでは書けないので、かなり調査にも、執筆にも時間と労力を割いた記事ではあったり。ただ、そのかいはあったな、と。

ちなみに、タイトルの発起点はフォロイーのぺりえ氏のツイートです。ただ、これはトゥィットゥアーで上海事変の浸透戦術が盛り上がっていた話なので、ちょっと違う話だったり。とはいえ、あそこの話も結局起点はここなので、まったく違う話とも言いづらく。

ちなみ、本記事の主人公はゴフです。それで、結構この記事の時期でのゴフの行動っていうのは興味深いテーマだと思っていたり。

ゴフ自身の問題、すなわち、縦深防御の無理解などに関しては擁護が難しいのだけれども、兵力の経済性の観点にて、より重要なセクターがある為、自分の戦線は意図的に脆弱にされた時、戦術的にはそれは受け入れがたくとも、戦略的にはそれが理にかなっていることから、それを受け入れることができたのは、すごい面白いなって。

特に、敗戦の責任を取らされた場合、解任が待っている状況で、それを受け入れられるのは、結構度胸がいる気がする。

必ずしも同じ状況ではないものとはいえ、彷彿したのが、モーデルが北部軍集団から中央軍集団へ転任された時に、北部軍集団は自身のセクターが重要でない事を認識しつつも兵力の転用を拒否したのに、いざ自分が中央軍集団へ配属されるとなると、数個師団を北部軍集団から引き抜いた件で、より利己的な指揮官ならそういう決断を行えるというケーススタディにはなりそう。

もちろん、その権限が必ずしも全てゴフにあったわけではないものの、一方、戦後も、ゴフの批判は兵力が足らなかったとのことから安易に矛先をヘイグ批判へと向けられたのに、敵軍の優秀さに帰するというのは、そこそこすごいと思う。

自己犠牲とまでは言わないけれども、これができる人間は少ないし、例えばO'ConnorとMontgomeryの一件や先のモーデルの話からみてもわかるように、そうならなかった未来は、全然ありえるわけで。そして、そうならなかった場合、どうなってたかっていうのは、結構、気になることではある。

尤も、そうはならなかったのだけれども。でも、考えることはやめられないので。

閑話小話:冒頭のエピソードの素晴らしさもあり、物語として、ある種の一つの輪が閉じて。
実際に、物語として、自分の最高傑作であると、自分でも思ってます。

第七回:『復興への特急券:1944年秋の西部戦線とフランス鉄道網の復旧』

兵站話。実は、第一回の記事を書く時、実はこっちにするか、エイブラムスにするかを迷ったのだけれども、エイブラムスにしておいて成功だったかなーって、思っていたり。ただ、この間ちょっと宣伝ツイートをしたらありがたいことにちょっとインプレッションをいただけて、ありがたありがたです。

結局なんでフランス鉄道網の復旧が早期に終わったのかっていうと、まぁ、色々あるのだけれども、個人的には最大の要因はおそらく、連合軍(というか米軍)が早々にしてフランス側に自治権を与えた結果、自立性を保証されたが故にフランス人側のやる気が大いにあったっていうことかなって。その自治権、自立性を与えることになった主因はかなり運に依存したことではあったけど、その選択肢があったことと、その結果を引き出せたのはやっぱり連合国の凄みだな、と。

パリのエピソードは戦争に関しては一切関係ない話ではあったのだけれども。連合軍がバストーニュを救う中、フランス人がパリを救う戦いを行っていた、そしてそれを自ら行える選択権があること自体が復旧の原動力であるみたいな書き筋を思っていたのに書かなかったのは、あちゃーやっちゃったなポイント。そしてそれがパットンの回頭に繋がった、みたいな話だったので、冒頭の話が他の記事に比べてちょっと浮いちゃっている。

逆に言うと、枢軸国側とソ連は、思想、政治のレベルの問題のせいでこれができなかったな、というのはやはり西側連合国の兵站を巡る戦いでの圧倒的な優位さを物語る上での、特記すべきエピソードなのかな、と。

そういう意味では、最後の一ドルでの車両のレンドリース兼リース契約による事実上の車両の譲渡は、米軍からのささやかではない協力への感謝の証だと思うので。

あと、どうでもいいけど、これも珍しく主人公がいない話ですね。本当はド・ゴールの話をもっと書こうと思ったのだけれども、存外に鉄道網の復旧自体は彼はほぼノータッチだったので。ド・ゴールとかフランスに関しては別記事をもう一回書きたい気持ちはあり。

閑話小話:実は、かなり「『浸透戦術』という幻」で魂を使い切っていた為、結構書くのに苦戦した話。翻訳記事ととても迷ったのだけれども、丁度良い感じの翻訳記事がなかったので、比較的短めになりそうだった本記事がテーマに。当たり前だけれども、月末戦史、一ヶ月で仕上げる成約上、記事の分量と労力量は気にして書いてたり。もちろん、見誤ることもよくあるのだけれども。

第八回:『取り残されながら追いついて:スペイン内戦における騎兵の活躍』

スペイン内戦っていうのも、かなり好きなテーマで第一次世界大戦的なものと、第二次世界大戦の中間で、かつ、工業国と後進国の間の国が、総力戦ともそうでもないとも言い切れない内戦をやっている結果、この戦争では結構、特異的な現象が多くてその最たるものの一つ騎兵の活躍だったりするわけで。

ノモンハンや第二次世界大戦でもそうなのだけれども、結局、敵との交戦が低強度だったり、そもそも無人の地域での機動や戦果の拡張においては騎兵っていうのは、少なくとも当時のテクノロジーはで全然活躍の場があって、そういった、技術ではなく用途という話が少しできたのはよかったなと。

もちろん、ここから得られた戦訓っていうのも、結構興味深いテーマで、結構書き始めるまで騎兵にするか、ソ連の軍事顧問団と彼らが得た戦訓、そして彼らのその後についてにするかは迷ったり。

本稿の主人公のイトゥアルテ、興味深いからもうちょっと書きたかったし、おそらくスペイン語で調べればもっと情報が集まるのだろうけど、いかんせんスペイン語はGoogle翻訳に完全に頼り切った形になってしまうので、ちょっと最低限な言及で留まったり。

閑話小話:当然、スペイン内戦といえば、オーウェルやヘミングウェイなどの文筆上の出来事としての重要さもあるわけで。個人的にオーウェルの最高傑作は『カタルーニャ讃歌』と思ってることもあり、いつかここらへんも書きたいテーマ。ニエト・ペーニャの「私は十五歳から一貫して共和制の為に戦ってきましたが、いまだ私の思想に100%の自信を持てないのです。アサーニャ(内戦時のスペイン大統領)のように偉い人をあまりにも近くで見てきたので」や、「男女平等を説くアナキストでさえ、実際には女性を軽視していたのです」と語ったアベスタイン、存命のチョムスキーもこの戦争のお話をされていましたね。「私達は本とじゃがいも入りのオムレツとヘレス産の白葡萄酒があればしあわせでした。」と言ったスペイン人たちの内戦の話は、いつか、言葉として。

第九回:『翻訳記事:ソ連から見たスヴォーロフ』

大昔から私はスヴォーロフおじさんが大好きで、いずれ書きたいと思っていた中、この記事に出くわした。

ただ、これを訳していて思ったのは、私がスヴォーロフおじさんが大好きなのは、結局、私が書きたいことを体現してるからなんだろうなと気づけたのは結構な面白かったなって。

再三になるのだけれども、このシリーズで書きたいテーマは、紙面から戦場まで、ドクトリンから、その運用、その戦場、そしてそれの結果がどう伝えられたか、どう学習されたかを一連の流れとして描くことで、スヴォーロフは、このシリーズで唯一(し、おそらく歴史上で、数えられるくらいしか居ない)全部を一人で行った人間な上、その文献がアクセスできる場所にある人間で、それを俯瞰して記述したこの記事は結構良かったなって。

実はというほどではないのだけれども、結構、複合的スヴォーロフに焦点を当てた文献って、存外に少なく、殆どがスヴォーロフの軍事的功績に終始しがちな伝記なのが結構気に食わなくて、教育者的な側面も重視したこの文献は、とても良かったと思ってます。

スヴォーロフの銃剣の話がかなり誇張された話なのは、以前『勝利の科学』を訳したときに少し書いたので知っていたのだけれども、実は委任戦術の萌芽的な話までしているのは、相当驚いたり。実は二十世紀に至っても、スヴォーロフが言っていたことを実施できてなかった軍隊は相応に多いのではないかなと。

また、スヴォーロフの大小の高弟たちが、その後五十年近くロシア帝国の軍事を牛耳ったのは、ある意味では当然かなという思いがあり、そりゃこんな考え方でこんな教育をする人の元では、人は育つよなと。

とはいえ、この文章を訳していると、逆にドクトリン制定者、教育者的な側面を強く感じてしまうのだけれども、当然、この人、一度会戦を決意すれば無敗の将軍その人であるわけで、べらぼうに戦場でも強い話もまたしたいよな、と。

高弟たちに、本人の軍事的業績。また、スヴォーロフには帰ってくる気がします。

全然違う話ですが、『勝利の科学』自体は別の方が訳されているので、もし興味があればどうぞ。

閑話小話:この文章に限った話ではないのだけれども、当然のことながらソ連期の文献の殆どはソ連礼讃が強く、この記事を書いたカラエフ少将は(序章部分に書いた通り)まだ弱い方だったとはいえ、まぁ、客観的に見ちゃうと、特に直後に西側の文献とか読んじゃうと相当強く感じるよなぁと。ただ、訳している最中は微塵もそんなこと思わなかったので、結構毒されているというか、よく言われる研究者が研究対象に似てくる奴なのかもしれないので、少し気をつけないとな、と。


第十回:『臨機応変に編成せよ!:第二次世界大戦前後におけるソ連軍戦車部隊編成史』

実は純然たる編成史というのは、それはそれで結構面白いと思っていて。昔、槍騎兵に関して同様の文章を書いたのだけれども、ちょっと核となる要素を見つけられずに、しっちゃかめっちゃかになってしまったのは、今となっては反省点。

そもそもの興味の発起点は、二次大戦中のソ連は、参戦国でほぼ唯一、戦車大隊、連隊、旅団、師団、軍団、軍の、全階層にて戦車の編成を有していたことで、それの理由を調べ始めたことだったり。当然のことながら、二次大戦は戦車の用兵の試行錯誤が行われた時期で、戦車の設計や戦術に関しては比較的情報が多いものの、こと編成に関しては存外に情報がないよなー、と思い調べ始めたことだったり。

本当はここから繋げて、臨時編成のПодвижная группа(機動部隊)や戦後のOMG的な話にもつなげようかなと思ったのだけれども、流石に話が大きくなりすぎるので断念。

他にも興味があるテーマの、戦車歩兵比とか、三単位vs四単位の話もしたかったのだけれども、これまた断念。

閑話小話:実は、これを書いている際、かなりスランプになりかけていて、ちょっと悪戦苦闘しならがら書いた一片。難産、というほどではないのだけれども、逆に書けたことが結構継続は力なりだよな~、的な気持ちにさせてくれて、気持ち的に、結構気に入っていたり。


第十一回:『翻訳記事:『オーストラリアの勝利(The Australian Victories in France in 1918)』第一章、著:John Monash』

一番新しいやつ。トゥィットゥァーのそれなりに古くからのフォロイーにジョン・モナシュがとても好きな人がいるのだけれども、九割型その人のための記事みたいな?

あと、「『浸透戦術』という幻」のフォローアップ記事は何時か書きたいと思っていて、ゴフの自伝っていう部分も考えて履いたのだけれども、全く同じテーマの再訪というのもアレだし、こっちのほうが、いいよな、とこっちに。

実は二、三章訳せるかなと思ったら、存外にモナシュの文体に苦戦し、結局、一章しか訳せなかったのは少し残念。なので、できたら続きも訳したいなーと思いつつ、他にも書きたいテーマはあるので、ぐぬぬといった感じ。

閑話小話:だいたいここらへんまで来ると察している人がいるだろうけど、だいたいロシアとイギリスが専門、ってほどじゃないけど中心に文献を漁っている地域になるので、ある程度以上はこの二カ国のローテーションにはなりがち。逆にこの二カ国じゃないテーマなら、お、今月は時間があったんだなと思って頂ければ。

今後の抱負に変えて

やっぱり、一年続けてみて思ったのは、毎月まとまったリサーチを行った上で、記事を書くのは大変だよな~、みたいな。文章書いている身だけれども、お絵かきする人とか、動画作ってる人とか、すごい頑張っているよな~、という気持ちに。頑張ってる人はみんな頑張っていてすごい!

結構書いたつもりだけれども、それでもまだまだ書きたいテーマはあるので、気持ちが続く限りは無理をしない範囲で続けられたらなぁ、といった次第です。

閑話小話:来年は実はかければ書きたいな~という企画があるのだけれども、もうちょっと準備ができてから。期待しない程度に期待して頂ければ!

番外:過去の文章(有料)

『Lorraine戦役とその忘れられた論争について』という題にて文章を寄稿しています。事実上のhajimemasite Season 2の処女作です。もしよかったら読んでね。

スランプ時期に出した文章の『十八世紀末から十九世紀初頭にかけての槍騎兵の再興』が収録されています。情報のリサーチはかなり上手くできたのだけれども、そこから結論を導き出せなかったなーという思いが。正直自分でもあまり出来が良いとは思っていないのですが、他の著者のお話読みたいのならおすすめです。私のイチオシは旗代氏の『18世紀初頭までの騎兵戦術の変容』です。

大昔に書いたやつ。hajimemasite Season 1の初期作品的な。冒頭でも書いたのだけれども、実はちょうど十年前の8月のコミケで出したのだったり。いや、十年。コンスタントに、というわけではないですが、存外に続くものなのですね。(この記事を8月中になんとか出したかった理由でも!)中世軍事も、昨今幾つかの発展があるし、また手を出してみたいトピックではあるのですが。


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