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屍の山の頂き

 誰も彼もが、高見に上がれるわけではない。高みに上がったその者の足元には、何百、何千の屍があり、それを踏みつけ上る先に、頂きがあるらしい。その屍の山の中には、今、殺した者もいる。切り刻まれ死ぬ間際だが、まだ息がある者もいる。片足がない、手足がない、唇は震え、白目をむいて、瞼が震えているが、臓物は流れ出している者もいる。
 屍の山の麓では、銃や剣を振り回して、屍の山を広げている。一瞬でも気を抜くと、まだ息のある死にかけた者達の恨み節か、悲鳴か、世迷言のようなうめき声が聞こえ、死臭が鼻を突く。剣を振るう者に、感情が頭をもたげた瞬間、そしてその者が自らの足元を見た瞬間に、目の前から襲ってくる、同じように血だらけだが、まだ頂きを目指す者に刺されてしまう。もしくは、後ろから銃弾を受けて絶命し、そこに倒れて、屍の山の一部になってしまう。心を動かさず、ともかく高見を目指して、殺戮を繰り返す。目の前にいる者には、躊躇なく剣を立て、引き金を引き、殺し、倒し、血だらけの足で踏みつぶし、高みを目指して、駆け上がる。足には、血液や体液、筋肉の筋、目玉など、たくさんの肉片がからみつく。滑って落ちれば、餌食になる。なるべく固く滑らない骨の部分に足を置き、一歩一歩確実に、気を抜かず、進んでゆく。

 ひときわ大きな叫び声と、数秒にも満たない、静けさがあたりを覆った。ある頂きの天辺にいた者が、屍の山を登ってきた誰かに殺され、その頂きに替わって立った者が、この頂こそ我が物、と雄叫びを上げてた。雄たけびを上げながらも、全身血だらけで、自らの痛みすら顧みない者達が、その高見を目指して剣を振るってくるのを、その者は、振り払う。両手に剣を振るい、心臓を刺しては、左足で相手の右胸を蹴って、屍の山から蹴り落とす。剣を素早く振っては、首筋に切り込んで、血を流させ気を失わせる。
 背を合わせて協力しながら、高見を目指すものもいる。それでも、途中でお互いを切りつけあう。どちらが先に切りつけるかはわからない。話している暇は誰にもなく、目つきだけで、会話する。最後まで気を許すことはなく、その場その場、その瞬間その瞬間で協力と裏切りが繰り返され、その裏切りに成功した者が屍を超えて、さらに高みに向けて屍の山を踏み進むことができる。
 耳をそばだてているのは、気配を感じるためで、悲鳴を聞くためではない。悲鳴や雄たけびはあちこちで起きているが、それには全く意味がない。ただ、ただ、屍の山が増えているというだけの事であり、そんなことにかかずらっていては、頂きには行けない。高みを目指さないという事は、誰かに殺されるということで、諦めたり体力が尽きた者が呆然と立ちすくんでいるのを見ることもある。目はすでに死んでいるか恐怖で瞳孔が開き、震えている。そういう者が再度、気を奮い立たせて、屍の山を登り始めることは少ない。一度止まって、悲鳴や雄たけびを聞き、血の匂い、死臭、腐った匂い、糞尿の悪臭、生ぬるい風を感じた途端、次の一歩はもう、踏めなくなってしまう。立ち止まって、その凄惨な景色と地獄よりも地獄であるその屍の山を感じたとたん、自壊する。茫然自失となった者は、程なく、前進する者の邪魔になり、何かの拍子に再起するのも面倒なので、必然的に殺される。実際にはそうした者を観察する暇もなく、皆剣を振るう。
 直接感じるのは、自らの剣が狙った相手の肋骨や、大腿骨に当たり、砕ける音や、手元から腕、そして体中に響き振動する打撃感、突き刺した剣に倒れる者の狂気の目つき、返り血の生ぬるさ。それに気を取られていていると、命を落とすことになる。
 皆、必死で高みを目指し、草刈をするように邪魔者を殺しては、頭蓋骨や、肋骨を踏みつけ、上っていく。目を見開いて、耳をそばだて、気配を感じているが、そこに人間の心を持った途端に、人として死ぬ運命にある。

 高見には何があるのか。皆知らずに、高みを目指す。頂きからの景色はそこに行ったものしか見ることはできず、そのために、人間としての心を閉ざし、捨て去り、獣よりも獣となり、悪魔より悪魔となり、破壊者を破壊し、裏切り者を裏切り、自らの目線のみを頼りに進み続け、高見を目指し、頂きに達する。
 頂きに達することを夢想することはなく、ただ、進む。進めば、次の殺戮が待ち構え、次の一手を打っていく。そこで死者と正者がわかれ、それを決めるのは、剣や銃弾がどちらに味方したかであり、運だけでも、技だけでも、体力だけでもなく、頂きに達するものに必要なものが何かは全く分からない。わかるのは、その頂を目指して命を奪い続ける限り自らの命は残るという事実だけ。

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