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充実感のあったころを思う

先日、自分のうつ体験とうつとは何か考えたことをまとめてみた。

その中で、どうしても自分は憂うつになってしまう、ということを書いたけれど、とはいえ、“充実感”をもって生きていた時期もあった。

今回はその充実感のあった時期をいくつか回顧しながら、それらの共通点は何かを考えつつ、今後の生き方を探ってみようと思う。

①大学の卒研

大学では電子工学を専攻した。特に理由は無くなんとなく。もう何を学んだかほとんど忘れたけれど、特に、原子や電子など量子と言われる世界に魅了された。そして4年になり半導体を電子顕微鏡で観察する研究室を選んだ。選択した理由は以下のような感じ。

  • 電子顕微鏡という未体験のツールが使える魅力

  • 研究内容が自分にもできそう(ほかの研究室は難しそう)

  • 教授が厳しくなさそう

実際に電子顕微鏡が使えることは人生なかなか体験できることではないので、設置してある部屋に入るたびにワクワクした。また、電子顕微鏡で観察する数ナノ~数ミクロの試料作製で、緻密で地味で根気のいる作業が必要だった。でもこの試料作製が僕はとても好きだった。教授もやはり厳しくなく、研究時間を1日6時間確保できればいつ研究室に来てもいいと言ってもらえた。4年の時には大学から1時間くらいかけて車で通わなければならなかったので、13時~14時くらいに顔を出し、19~20時くらいに帰るということを繰り返した。その方が朝夕の渋滞に巻き込まれることもないし、若干朝が苦手な僕にはとてもメリハリの付いた時間設定が出来て有難かった。また、教授だけでなく卒研の仲間もとても気のいい者同士でとても風通しよくて助かった。そうして卒論をまとめ上げパワポで発表すると、多くの教授から分かりやすくまとまっていると言ってもらえた。今でもネット上で自分の携わった論文が公開されており、それを見るたび達成感がある。

②1社目の技術職

大学卒業後とくに何をしたかったわけでもないけど、地域的に製造業が盛んだということでとあるメーカーの技術職として就職した。業務内容としては、製品図面作成や試作、量産工程の帳票類を整備するなどだった。客先から新たな製品形状の提案があったとき、これまでの技術では対応できず新技術開発も携わることが出来た。もちろんいいことばかりではなかったがとても充実していた。一つは人間関係だ。同じ大学出身の部長はとても気さくで、かつ判断力や技術力が高かったので、僕はまだまだと気づかせてくれつつも時に自信をつけてくださった。また当時の職場の先輩は、会社が変わった今も趣味を通じて仲良くしてもらっている。仕事の製図や試作などはコツコツ積み上げる部分が多く、少しハードルの高いものに挑戦しつつ、じっくり腰を据えて答えを導きだせた時とても嬉しかった。これが、完全に自分では何ともできない高い壁だったら簡単にくじけてしまったかもしれない。

①と②の共通点

少々長くなってしまったので上記の2点にとどめておこう。そして、それらの共通点とは何だろうか。

  1. 風通しのいい人間関係
    全員の事を好きだと思っていたわけではない。ただ、どこからかプレッシャーをかけられるわけでもなかったし、どんな立場でも意見を言い合える風通しのよさがあった。困ったら相談できるし、自分から提案することもできる。嫌なら嫌と言ってもいい。そんな心地よさだった。これは、環境によるのかもしれないけど、ある程度同じ趣向を持った者同士だから分かり合えるものがあったと思う。類は友を呼ぶというところだろう。

  2. なんとなく惹かれた
    大学も就職先も、そこにどうしても入りたいという希望は強くなかったけど、結果的にやりたいことが出来た。だから頭で考えて答えが出るものではないし、見つけようとして見つけたとも言えないし、ただなんとなく“これいいかも?”という気持ちがあっただけだ。

  3. 性に合っていた
    僕は答えの出る地道な作業が好きだ。理系的で技術的な課題というのは、どこかまで突き詰めることである程度の答えが得られる。また、嘘のないデータを見ながら、質を高める手段を試行錯誤することに安心感がある。頭だけでなく体を使って無心に作業できるということは僕に合っているようだ。

  4. 自分でもできそうな事だった
    やりたいと思うのと同時に、できそうという感覚もあった。ハードルが高すぎれば挫折しかねないし、低すぎても満足できないかもしれない。だから少しだけ頑張れば越えられる高さがちょうどいいのだと思う。その方が1つ1つきちんと完結させられるし、達成感も得られた。

  5. 時間的なメリハリがある
    いつまでもダラダラしてしまわず、今日やるべきことを今日のうちにちゃんと終わらせることが充実感になったと思う。とにかく、今日はここまででいいと思えると頭が切り替えられるような感じがした。厳しく生活習慣を整えるというほどでもなく、心地の良いと思えるリズムで。

  6. 結果的に誰かの役に立っている
    研究も仕事も、特に誰かの為と思ってはいなかった。ただ、やってみた結果として、またそれらをやっていること自体、どこかの誰かにとって役に立っているという感覚を得られた。そしてよくやったと言ってもらえると嬉しさがあった。でもこれらは希望したものではなく結果的に得られた感覚だと思う。

まとめ

以上のような充実感のあったころの共通点を見るとき、特に努力しようとか頑張ろうとか、ましてや世のため人の為と思っていたわけではなく、それとなく惹かれたことをやっていたら楽しくなって、だからこそ自然とあれこれ考えて研究的に行動し、結果的に自分の身になり人の役にも立った、ということなのだろうと思う。それは、今のうつ状態からの脱出に何かヒントがあるのではないか思っているし、そもそもそういう生き方が僕の在り方と言ってもいいのかもしれない。お金を稼がなければ生きていけないという前提が強すぎるあまり、やりたいことよりやるべきことを優先しすぎて体調を崩してしてしまった。仕事も趣味も、まるで真剣に遊ぶようにできればいいんだろうと思いながら、今後の環境設定をまた考えてみたいと思う。

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