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没頭を甘く見ちゃダメ【心理学】

前回の記事では、退屈な状態における私たちの心理について、本を用いて自分なりに理解を深めてみました。
(もし時間がありましたら、こちらも読んでみてください。)


退屈な時の私たちは、何かに「没頭」することを欲していると書きました。
今回はその「没頭」について、深く掘り下げていこうかと思います。

実は前回参考にした著書には、「至高の“フロー体験”」という章がありました。
前回は触れませんでしたが、没頭に深く関連している章です。


この章を参考にしながら掘り下げていきます。

フロー体験とは

純粋に何かに没頭して、それ以外の世界がなくなったように思えるような深い没入体験を、M・チクセントミハイは「フロー体験」と呼びました。

外科医や工場労働者、ロッククライマーなど様々な人を調査し、その経験をした人たちは口を揃えて、「流れている(floating)ような感じだった」「流れ(flow)に運ばれた」と言っていたそうです。

そのことが詳しく記載されている著書はこちらです。


M・チクセントミハイ氏著、今村浩明氏訳「フロー体験 喜びの現象学」世界思想社(1996)です。
(私には難しい本だったので、上手く伝えられるかは分かりませんが、自分なりに噛み砕いていこうと思います…)

フローの状態では、世界と自分が一体となっているように感じ、思考・意図・感情・全ての研ぎ澄まされた感覚は、同一の目標に深く集中しています。

目標に向かって没頭し、集中力の限界まで自分自身を追い込むと、楽しい・素晴らしい・喜ばしい体験が待っているのです。

フローの状態が一度終わったとしても、その体験をもう一度味わうために更なる努力を積み…、
という良いサイクルが生まれます。

このサイクルこそ、自己が成長する道筋なのです。

フロー体験は疲れ知らず

さらに凄いことに、フローの状態では疲労を感じません

何かに没頭している時、休憩も挟まずに何時間もその作業をやり続けていたり、体力が消耗していたとしても頭は冴え渡っていたり、こんな経験をしたことはありませんか?

それは、ぐったりと疲れるような、心理的な疲労が一切無いためです。

心理的な疲労が一切無いとはどういうことか、少しずつ噛み砕いていきましょう。


フロー体験は、活動自体が自分の目的です。
つまり、利益を期待せず、活動自体が自分自身への報酬(喜びや楽しさ)となる活動ということです。

チクセントミハイは「自己目的的な活動」と表現していますが、少々分かりにくいので、会社の研修などで用いられる非常に有名な話を用いて説明します。

 石切場にやってきた男が、石工に何をしているのか、とたずねた。
 一人の石工は不機嫌な表情で、「このいまいましい石を切っているところさ」とぼやいた。別の石工は満足げな表情で、「大聖堂を建てる仕事をしてるんだよ」と誇らしげに答えた。
 完成した暁の大聖堂の全容を思い描くことができて、しかもその建設工事の一翼を担っている石工は、ただ目前の花崗岩をみつめてうんざりしている石工より、はるかに満足しているし、生産的だ。
西きょうじ氏著,仕事のエッセンス「はたらく」ことで自由になる,毎日新聞出版(2015) p.37

この2人の石工は、表面上は同じことをしていますが、仕事に対する気持ちが異なります。

前者の石工は、労働・義務・強制というようなイメージが感じられます。
前回の記事で、「単調さ」「目的のない活動」「制約」などが退屈の要因となると書きました。前者の石工が仕事に退屈しているのは、明らかです。

「あと何回やらなきゃいけないんだ」
「終業時刻まであとどれくらいだろう」
「これだけ働いて賃金はこれだけか」

なんて考えたり、空想や妄想を膨らませたりして、心理的エネルギーを消費します。
体も心も疲れてしまいますね。

一方で後者の石工は、大聖堂を建てるために石を切る活動に集中しています。きっと、賃金や労働時間なんて気にも留めていないでしょう。活動をただ楽しむ、これが、自己目的的な活動です。

仕事を例に挙げましたが、仕事だけでなくさまざまな活動にも当てはまります。
趣味やスポーツ、勉強など、多種多様です。

自分の目標に向かってやりたいことをやり、心から楽しい気持ちになるだけでなく、それが自己成長へとつながるのです。そしてさらには疲れないなんて!こんなにも効率の良い活動は他にはないでしょう。

しかし、このような経験をしたくても、実現するのはそう簡単ではありません。
難しいので、多くの人々は自由時間を浪費してしまうのです。

余暇の無駄遣い

「早く帰りたい!」と切望しながら仕事をし、いざ帰宅すれば、横になったりテレビを眺めたり、スマホをいじったりしていつの間にか就寝時間です。

それは当然のことと思います。

退屈だなあと感じながら仕事をすれば、それなりの心理的エネルギーが消費されています。仕事が終わればもちろんヘトヘトですよね。その回復に徹して翌日に備えるべきです。

もし仕事に没頭することができたら、無駄な心理的エネルギーを消費することなく、有り余ったエネルギーは余暇の時間に有意義に使われることでしょう。

要するに、余暇を十分に楽しむためには、仕事を楽しむ必要があるのです。


また、間違いやすいのが「快楽」です。

快楽と楽しさは異なります。

美味しい食事や素晴らしいセックス、派手な買い物、テレビを見ながらワイングラスを片手に休息するのは非常に快いものです。

しかしそれは日常生活の反復によって疲れ切った感覚を回復させるための刺激にしか過ぎず、生活の質は高くなっても、その行為自体は自己を成長させません。

ドーパミン的な衝動は、いわば何の努力もなしに快楽を感じることができます。
快楽からも一時的に楽しさを感じることはできますが、それが終われば後に何も残らないのです。


このように、受動的な娯楽や快楽からは何も生まれません。
自分のスキルや能力を発揮するフロー体験であるからこそ、自分自身を成長させるのです。

おわりに

「好きなことが仕事にできたら幸せ」とよく言いますが、誰にでもできるとは限りません。

仕事に没頭することがどうしてもできないのであれば、ライフ・ワーク・バランスを重視したり、働き方を見直してみることも大事なことだと思います。

私は実際に見直しました。

看護師という職業は好きでも、職場の雰囲気や人間関係は選べません。以前の記事で書きましたが、私はHSP気質であり、対人関係で心のエネルギーを消耗します。
そのため、次の職場はライフ・ワーク・バランスをかなり重視して探しました。


フロー体験とまでならなくても、没頭しやすい環境を自分から探すことも、仕事を楽しむ1つの手だと思います。

私も以前は、帰宅後はヘトヘトでゲームやユーチューブに時間を費やしていました。
なんて無駄な時間を過ごしていたんだろうと、過ぎたことを後悔するよりも、この本を教えてくれた私の親しい人に感謝の気持ちでいっぱいです。


ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

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