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はじまり

うっすらと水面に顔をつけているかのようなこの息苦しさは、私がこの社会で生きていくうえで必要な対価なのだとすら思っていた。

女性として見てきた風景。
この身で確かに受けてきた差別。


2018年 春。
私は仕事がきっかけでそれまで敬遠していたTwitterを始めた。
当初は趣味だけののんびりとしたアカウントにするつもりだった。
社会問題に対してぼちぼち意見はしていたけれど、まさか私自身がこの身で暗々のうちに育ててきた不協和音を表現する場になるとは、つゆほども考えてもいなかった。

折しも、アメリカを震源地とする #Metoo が世界的なムーブメントを巻き起こしていた。そして、その余波は次第に私の手元にも様々なかたちで押し寄せた。

率直に申し上げると、その頃の私はありがちな先入観から「フェミニスト」とは一線を画したいと思っていた。

女は怖い生き物だ。
きっとそこは妬み嫉みの巣窟で、一歩でも足を踏み入れれば最後、その憎悪のエネルギーは私を負の感情ですっかり覆い尽くして喰い荒らしてしまうに違いない、そこまで思っていた。

それでも、毎日のように言葉を変えて、彼女たち「フェミニスト」の声は聞こえてきた。

ある日、私は慎重に予防線を張りながら、その地獄の淵を怖ず怖ずとのぞいて見ることにした。
見えるのは彼女たちの阿鼻叫喚した姿だろうか。
ところが、奈落の底に垣間見えたのはなんと、苦悶する「私」の姿だった。
それは紛うことなく「私」だったのだ。

その日を境に「フェミニスト」の一挙手一投足を追うようになった。
彼女たちは水面から顔を上げ、立ち上がろうとしては押さえつけてくる「手」と必死に戦っていた。

それは、私の大嫌いな「手」だった。
大きくて纏わり付いてくる。
逃げることも許されない。
女として生まれてきた私の命と差替えに受け入れるべきとされてきた「大きな手」。 

"私はずっとひとりで藻掻いてきたではないか。"



図らずも、俯瞰する事で私はその「大きな手」の正体をはじめて捉えることができた。
同時に、私は水面に顔を押さえつけられた「私」の姿を見てしまっていた。 

自分が差別を受けてきたのだと、その事実を認めることは辛い。
必死で見て見ぬ振りをして、押し殺してきた感情が実は正しかったんだ、そんなことを今さら言われても絶望的な気持ちにしかなれなかった。

その夜、言い知れぬ悔しさと悲しさで私はひとり暗い部屋で泣き続けた。

” 私は差別をされてきたのだ ”
軽んじられ、蔑ろにされてきたのだ。
考えすぎなどではなかった。

「失った時間」「諦めたチャンス」「カンナ屑のように削り捨ててきた自尊心」
考えるだけで絶望的な気持ちになった。
30年以上も我慢をしてきたけれど、私は正しかったんじゃないか…
泣けて泣けて仕方がなかった。涙が止まらなかった。
憤るべきだったのだ。

そう、怒ってよかったんだ…

悲憤慷慨して一睡もできなかったその夜から数日後。

私は勇気を出してTwitter上で拡散されていた #九州の男尊女卑 というタグを使って呟いた。
大学受験の際に私と私の友人の人生の分岐点をつくった女性差別の辛い記憶を書き連ねたツイートだ。

反響は大きかった。
泣いてくれた人もいた。

「女がそんな勉強したって何にもならんから、早よ結婚しろ」
友人は女に生まれたというだけで、大学進学を諦めた。
学問の機会、人生の選択肢、その全てが男女ともに平等に与えられ前途は開かれているものと固く信じていたあの日。
私は得体の知れない何かが友人を水面の中へ沈めるのを見た。



それから、私は「私」を正面から見据える決意をした。
闘うのだ。
途端に、座視してきた辛い現実がうねりをあげて津波のように押し寄せてきた。
そして、それに共鳴するかのように記憶の底に閉じ込めたはずの私の様々な女性差別の被害体験が呼び戻された。

自分が差別を受けてきたのだと、その事実を認めることは辛い。 

それでも、私はいく。
私はもう知ってしまったんだ。
何を?
もちろん、「フェミニズム」を!! 

闘え、私。
立ちあがろう、女性たちよ!!


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