私もそうだった。 この国ではまだ名乗るには相当の勇気が要る。 この世界では女性として生きるだけで相当のリスクがある。 「フェミニスト」 気づいた。 ようやく辿り着けたあなたへ。 ようこそ。 でも、無理に名乗る必要なんてない。 肩書きが意味のないものだと、いちばんよく知っているのはあなたのはず。 「なりたかった私を諦めた」 「頑張って働いても何かが違った」 「子供を産んだら、私は私ではなくなった」 そう、この社会で 「私は私ではなく、『女』だった」 「フェミニスト
うっすらと水面に顔をつけているかのようなこの息苦しさは、私がこの社会で生きていくうえで必要な対価なのだとすら思っていた。 女性として見てきた風景。 この身で確かに受けてきた差別。 2018年 春。 私は仕事がきっかけでそれまで敬遠していたTwitterを始めた。 当初は趣味だけののんびりとしたアカウントにするつもりだった。 社会問題に対してぼちぼち意見はしていたけれど、まさか私自身がこの身で暗々のうちに育ててきた不協和音を表現する場になるとは、つゆほども考えてもいなかった