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男性同士で考える#3「男はどうして女性に偉そうに説明するの?」その貧弱な自尊心のためにケア(?)したがる男性

Twitterで
「男性同士で考える」というスペースを不定期で始めました。
そこで出てきた話を記録しておこうと思い、noteに書き留めていきます。
そのときには話せなかったことも書き加えています。

はじめに

「ねぇ、あなた、○○ってどういう意味か知ってる?」
(ニヤニヤしながら「知らないだろうね」という意味を含みながら)

そんな年上男性から年下女性へのウザ絡み
“あるある”として想像できるのではないだろうか。

女性に偉そうに説明したがる男性

これがわりと“あるある”で
そしてそこには
男性から女性への差別性・暴力性があると思う。

Twitter上で
女性がなにかを発信したときに
突然横から絡んでくる男性。

突然引用リツイートをしながら
持論を展開し始める男性。
女性やその意見について
勝手に評価をし始める男性。

「FF外から失礼します」などと
一見丁寧なふりをしながら
偉そうに説明をしてくる男性。

そんな
「偉そうに説明したがる男性」は
どうしてそのようにするのか。
男性同士で考えてみた。

スピーカーさんから出てきた話

「男はどうして女性に偉そうに説明しがるのか?」
について、こんな話が出てきた。

・相手を自分より下だと思おうとしている
 (してあげている、やってあげている、「困っている人」認定、庇護)
・自分の自尊心を守るために説明している
・公の場面では男性がしゃべってばかり
 女性は「遠慮」して聴いている、黙っている

 (それが「普通」になってしまっている)
・初対面の場や、なんでも話していい場面では
 逆に話せなくなる男性、自然と話せる女性

ひとつ目のことについては
前回のnoteに書いた「ケア」の話と
少し似ているが
女性がする(させられている)「ケア」とは違った
“いやらしさ”があると思った。
それは「相手のため」ではなく
ふたつ目の「自分の自尊心のため」なのだと。
以下では、この男性の「ケア」を「ケア(?)」として
このあたりについて、考えたことを書いてみる。
(前回の記事については以下)

考えたこと・思ったこと

相手を自分より下に
弱い存在、助けが必要な存在、守るべき存在
庇護(ひご)の対象と見る。
そうして自分を、相手より上に
強い存在、助ける存在、守る存在
相手を「ケア(?)」する存在として位置づける。
そのことによって
自分の自尊心を高めようとしている。
そういうことがあるのではないか。

以前に、こんな言葉を目にしたことがあった。

「男性が女性を必要としているほどに
 女性は男性を必要としていないということを
 世の男性はもっと知るべきである」

男性は、自分の自尊心のために
自分が「ケア(?)」してあげる対象を必要としているように思う。
自分のために。

「助けが必要だったら言ってね」
「なんでも相談にのるから」
「僕が守ってあげる」

そんなふうに言って
女性に近づいてくる男性がいる。
女性がそれを必要としてなくても
頼んでもいないのにしてくる男性。
頼んでもいないのに説明をしてくる男性。

女性はそれを
笑顔で愛想よく「ありがとう」と
受けとることが期待されている。
男性の偉そうで余計な説明に
「そうなんですか?知らなかったです!」
と感心して見せることが求められている。
女性のその反応を受けて
男性の自尊心は満たされる。
逆にその期待した反応が得られなかったときには
不機嫌になったり、暴力的になったりする男性がいる。
そのことが面倒で、そのことが恐怖で、
トラブルや危険を避け、身を守るために
しかたなく愛想よくしている女性がいる。

男性は
その貧弱な自尊心を満たすために
自分の話に感心し
自分を尊敬の眼差しで見てくれる
女性を必要としている。
そういう存在として女性を見ている
そんな男性が多いのではないか。

初対面の場やなんでも話していい場面で
逆に話せなくなる男性
というのも面白いなと思った。
そこにはこんな理由があるのではないか。

初対面の場で
男性は相手と自分との力関係をうかがっている。
自分が相手より上に立てる部分はなにか
自分が相手から尊敬される部分はなにか
自分の自尊心が満たされる部分を探している。
そんななかでずっと黙っていた男性が
「お仕事はなんですか?」などと聞かれると
途端に饒舌に話し始めたりすることがある。
相手が「へぇ」「そうなんですね」「なるほど」
「すごいですね」などと反応したり
自分が詳しい話、説明できる話題になったりすると
相手が聞いてもいないことまでも
偉そうに説明し始める。
そのようにしてしている説明は
決して相手のためではなく
やはり自分の自尊心を満たすためなのだ。
そこではもはや
相手がその話に関心があるかどうかや
相手が実際に話を聞いてくれているかどうかさえ
どうでもよくなっていたりする。
そんな男性たちにとって、目の前にいるのは
「うふふ、えへへ」と愛想よく笑いながら
相槌を打ち続けてくれるロボットでも充分なのだろう。
前回の記事を参照)

「男はどうして女性にえらそうに説明したがるのか?」
逆に
「男はどうして女性の説明を素直に聞くことができないのか?」
ということも考えた。
以下、ひとつ私自身の経験を話す。

地域でのスポーツの場面で
一緒に参加をしている同世代の女性で
私より経験が長い方から
「もっとこうしたほうがいい」という
アドバイスをもらったことがあった。
素直に「そうか。ありがとう」と聞けばよいものを
私は「今はこういう意図で練習しているんだ」と
説明?弁解?をしてしまった。
彼女のほうが私よりもずっと経験が長く
上手であるにもかかわらず
彼女のアドバイスを素直に聞くことができなかった。
そこには「下手だと思われるのが嫌だ」
「自分が教えられる側になるのが嫌だ」という
なんとも“生意気”な感覚があったように思う。
もしも、アドバイスをくれた相手が男性であったり
女性であっても年上の女性であったりしたならば
素直に「ありがとうございます」と受けとることが
できたような気がする。
これもまた、男性の私の貧弱な自尊心の問題だ。

男性は
自らの貧弱な自尊心を満たすための存在として
女性を必要としている。
といえばまだ言い方がやわらかいが
それを女性差別・男性から女性への暴力であると見るならば
以下のように言えるのではないだろうか。

男性は
自らの貧弱な自尊心を満たすための道具(モノ)として
ーー自らに愛想よく相槌をうつロボットのような存在として
ーー素直に「ケア(?)」(庇護)される存在として
女性を位置づけ、その役割を押しつけ、差別・抑圧している。

スペースで紹介した本


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