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男性同士で考える#2「男性はどうして女性差別を認められないの?」ケアの視点から

Twitterで
「男性同士で考える」というスペースを不定期で始めました。
そこで出てきた話を記録しておこうと思い、noteに書き留めていきます。
そのときには話せなかったことも書き加えています。

はじめに

最近、以下のツイートに
割とたくさんの方が反応をしてくださった。

京都大学の研究グループが開発した
女性形のロボット(人の笑い声の特徴を分析して、
一緒に笑い声を出す機能を搭載した人型(女性形)のロボット)について
そこに見る女性差別について書いたツイートに
たくさんの方が共感してくださったのだが
結構な数の男性が
否定的なコメントや引用をしてきた。

コメントの例は次のようなもの。
・実害はないのだし、なにが問題なのか。
・男性に同じようにしろと言うのか。
・男性形もすでに作られている。なにが問題なのか。
・気にしすぎだ。そのことのほうが差別的。など

今回取り上げる疑問は
このロボットの件が実際に
差別であるかどうかではなくーー

このツイートの背景となった報道については
女性たちからもたくさんの疑問の声、
そこにある女性に対する差別的な考え
についての指摘があった。

それにもかかわらず
多くの男性たちが、
その女性たちからあがる声を聞かず、
そこにある女性の苦しみ
常日頃から女性が受けている差別について
その存在や自分たち男性の問題性について
認めようとしないのは
どうしてなのか、ということだ。

スピーカーさんから出てきた話

「男性はどうして女性差別を認められないのか?」
について、こんな話が出てきた。

・男性は自身や他者をケアする訓練・機会が少ないため
 (女性は逆にケア役割を押し付けられている)
・男性のなかにもヒエラルキーがあり、弱い男性ほど女性より優位に立つために女性差別をしてしまう
 (男性のヒエラルキーこそ男性の問題で、女性にぶつけるものではない)
・教育の問題について、人権教育の必要性
 (そこにおいては、誰が教えるのか?誰の声を聞くのか?が重要だろうという話も)

一つひとつが考えるべきテーマだと思うが
今回は、1つ目の「ケア」について
考えたこと、思ったことを書いてみる。

そのほかの2つのテーマについては
またの機会にスペースで取りあげつつ。

考えたこと・思ったこと

「ケア」について
それは、他者に対してもそうだが
自分自身に対してのケアも含むことだろう。

「男性はケアの訓練が足りない」というのは
「女性はケアの訓練がされている」とも聞こえる。
しかし実際には
女性ジェンダーに割り当て/押し付けられている
ケアという役割によって、
女性はそのような機会が多く、男性は少ない
ということだろう。

女性は鏡をよく見る→客観視ができる
男性は逆に客観視ができない
という意見もあったが
これも同様に、女性への「美」の押し付けが
あるということだろう。
『美とミソジニー』という本を思い出した。

また、見方を変えれば
「女性はみなケアができる」
「男性でも訓練すればケアできるようになる」
とも考えられるが、それもまたどうなのだろう。

女性がケアの機会が多いからといって
必ずしもケアができるわけではないし
できなければならないわけでもないし
そもそも、女性ジェンダーに押し付けられている
その役割について見直すべきだろう。
京大の女性形ロボットの件も
そこが指摘されたわけで。

ただ
考えさせられた・思わされたのは
多くの男性が、おそらく
女性差別の話題になったときに
加害側である男性のひとりとして
なんらかの危機意識(?)を覚え
無意識にその危機(?)に対するケアを
必要としてしまっているのではないか
ということ。

本来、その女性差別についての指摘は
男性として受けるべき指摘であり
考えるべきことがらであるにも関わらず
それを受け止めることができない
自分の内側に湧き上がる危機意識(?)を
自分自身でケアすることができないーー

そう、本来は
男性自身、自分で自分をケアするべき
自分でその自分の課題に向き合うべき
であるにも関わらず
そのケアを他者に
それも、こともあろうに
女性に求めてしまうことがあるというわけで。

女性にケアを求める男性……
このことには私自身も自覚があるので
自戒の念をもちつつ
自分自身をケアすることを意識
また訓練してみようと思わされた。

その結果として
ケアできるようになるかどうかは別として

少なくとも
女性差別について指摘があった場面で
それについて自分のなかに生じた危機意識(?)のケアを
女性に求めることは間違いだということは
肝に銘じつつ。

前回の話とあわせると
「男は、自分(たち)の面倒は自分(たち)でみろ」
ということだ。

そう
やはり、女性差別について
男性の問題として
男性同士で考え、話し、取り組むことが必要なのだ。


スペースで紹介した本


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