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仕事を『楽しむ』ということ、そして『誇り』と思えるということ


『仕事を楽しむ』

というと理解されないことの方が多いと思います。

それは

『自分がやりたい職業に就いている一部の人間だけ』

『限られたトップの人間だけ』

『評価されている人だけ』

だいたいそんな考えで溢れていると思います。

そして自分の周りにも

人には仕事を楽しもう、頑張ろうと説いている人は多いけど

『実際に自分は』というと、そうでもない人の方が多いです。

では、ここの上記の内容に当てはまらない人は

仕事を楽しむことは不可能なのでしょうか。

自分は違うと思います。

例えやりたくない仕事だと思っていたことでも。

やろうと思っていなかった仕事だとしても。

例え世間体が良くない仕事でも。

どんな仕事(ビジネス)でも

本質は(その仕事がスタートしたキッカケは)

誰かの何かを解決するため

から生まれているからです。

自分も思いもよらない仕事は世間体の良くない仕事を

割と多く経験してきました。

まだ何かを成し遂げたわけではありませんが

仕事は辛いと思ったことは一度もありません。

正直、何をやっても楽しいと思う自信があります。

それはそこに『ありがとう』があり

『必要』としてくれる人がいるからです。

もしかしたら自分には承認欲求みたいなのがあるのかも

これが承認欲求と言われればそれまでですが

『自分ひとりで楽しい』はありえないと思っています。

そして誰かがいてくれるから

誰かを楽しませようとしているから

『楽しい』は生まれてると思います。

そしてその積み重ねが何に繋がるのか

きっとそれが『誇り』になっていくのでは無いでしょうか。

誇りというと、何かを成し遂げた人にのみ与えられる

特別な言葉のように聞こえてしまいますが

何かを成し遂げた人ではなく

誰かの

何かを成し遂げる・必要とされる・楽しませる・笑顔にする

そういった見えないところで目の前の人の力になれている積み重ねが

後ろを振り返ったときに『誇り』と思えてるのでは無いかと思います。

自分のことばかり考える

自分の損得勘定だけを考える

自分だけが楽しめる環境を探す・創る

自分のことばかりの人に

本当の意味で

『楽しむ』『誇りに思う』ことは難しいのではないかと思っています。

長い間、同じ職業・同じことの繰り返しの連鎖の中で生きてきました。

それが終わりを告げようとしてる今思うのは

自分が楽しめるのは誰かに楽しいって思ってもらえてたということ    自分が誇りに思えるのは誰かに誇りだって思ってもらえたということ

偉くなんてならなくていい。

仕事を辞めても離れても、もう会うことがなくても

あの人と仕事ができて良かったと少しでも思ってもらえる人であること

それが仕事を楽しむ権利がるある人なのではないかと思っています。



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