ベッドルームタイムライン#1
ぼくは、ここだけのはなし、ずいぶんと前から、せかいめつぼうを望んでいる。
こんなご時世に何を言っているのかって感じだけど、これはぼくのなかにいつからか居座っている影に近いもので、その実体はネガティブな思考から生まれたものとは違い、極めてポジティブなものである、と思う。
実際に「めつぼうします!」と言われたとして、きっと映画のようにヒーローは来ない。そのなかで一体どれだけの人が「いやだ!」と叫んで、どれくらいの人が「そっか」ってなるのだろうか。
ぼくには忘れられない映画がある。2012年に公開された「エンド・オブ・ザ・ワールド」という作品で、ある日突然、世界滅亡のニュースが報道され、主人公のドッジは、悔いを残さないために自宅を出る。その道中に知り合ったペニーとともに、淡々と、正反対の性格2人の姿を描く。世界がおわらなければ出逢うことのなかった2人の物語で、ラストシーン、世界がおわる。
Filmarksを見ても、評価が高いとはあまり言えない映画だと思うけど、ぼくにはぶっ刺さった。
まさしく救いがない映画。ぼくは勝手に2人の世界が、例によって救われるんだろうと思いながら観ていたんだけど、世界は、なんのフラグも残さずにしっかりめつぼうしてしまう。2人の過ごした時間は一瞬にして、永遠に完結する。
ぼくはおわりゆく世界で、「そっか」ってなる方だと思う。
世界がめつぼうするから、煩わしい労働や、足りない貯金のことを考える必要は、もうそこにはない。すきだった人に告白したっていいし、いつもよりたくさん食べてもいいし、どれだけ長風呂しても怒られない。その世界はみんなそれぞれ、思いのまま行動する、無法地帯になる。こんな世界は、いい意味でも、悪い意味でもひとびとを隔てる、数々の壁が取り払われる世界……
ここまでが、ぼくのなかの消えてくれない世界の話。
つまり、ぼくは未来がとてつもなくこわい。
ビュンビュン飛び交うニュースや、SNSで見る知り合いの近況などによって、どうにもならない、得体の知れない、大きな不安の種子が植え付けられる気分になる。それはじわじわと育って、根をはり、ぼくらの命を吸って育っていく。根が伸びるたびにどうにかなりたく考えるけど、どうにもならないと落ち込む。
これまで、もっと遠くにあると思ってた未来に対する不安。
カメラのピントみたいにぼやけていたのに、歳を重ねてきて、だんだんと不安の輪郭が見えるようになった。肩にのしかかる重さをしっかり感じながら、ここ何年かは一緒に誕生日を迎えている。
なんだかつかれたときは、せかいめつぼうを想像する。「どうせ、滅ぶなら」と想像する。好き勝手する、いろんな意味でFreeな自分を浮かべたら、仕上げに「まあ、なんとかなるか」って呪文を唱えて、あったかくして眠ってる。
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