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綺麗事を語ったっていいじゃないか

noteやFacebookに書いていることもそうだし
パンフレットなどに書くこともそうで
綺麗事やんか。なんて、思われているだろうし
なんとなく自分でもおもうときがある。

綺麗事やん。ってなんとなく
嫌味ったらしく聞こえるし良くない印象。
でも、きっとそうじゃない。

綺麗なものを思い続けないと、今の違和感に気づけなくなるきがするんだ。

「違和感」って毎日そこにあると
いつのまにか慣れてきて「当たり前」になる。

保育園で働き始めた当初、
毎日毎日「違和感」だらけだった。

どうしてそんな言い方なんだろう?
どうしてそんなことするんだろう?
そこまで口出しする必要あるかな?
違う言い方ないのかな?

でも、ふと立ち止まると
不意に「うわっ今の自分嫌なやつだ」と
思ってしまう言動をとっていることに気づく。

そして、いつのまにか周りの言動への
違和感をもつ回数がかなり減った。

周りへの理解が増えたのかもしれない。
関係ができたからかもしれない。
それほど余裕がなくなったのかもしれない。

でもきっと大きい理由は「慣れた」から。

あんなに「なんか嫌だなぁ」と思っていたのに
いつのまにかそれに気づかなくなった。

でも、「あれ?今の自分違うな」と思う瞬間が訪れる。
本を読んだ時、投稿する時、誰かに想いを語る時。

そう。
綺麗事を語ると今の「違和感」を持ち続けられる。気づける

綺麗事でもいいじゃないか。
綺麗事を語り続けようじゃないか。

そしたら、
綺麗事の世界が近づくのかもしれない。

そして、いつの日か
それは綺麗事じゃなく現実にするんだから。

満足してない現実になれるな。

その代償はこどもにいくんだ。
わすれるな、のすけ。

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