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VS『余裕』

ただの反省文。
ある子が『のすけのnote読んだ』とか言ってくるもんだから、久しぶり過去の自分が書いたものを読んでみた。
結論、グサグサ刺された。

これは言い訳として言いたいわけではない、という
前提のもと書きますが、

本当に心の余裕がない。自分で認知できるほどにない。
めちゃくちゃ意識して、事前に考えたり、
シミュレーションしたり、準備を増やしたりしてるけど
それでも余裕がなくなる瞬間が生まれてしまう。
本当に良くない。

頭じゃわかってるし、僕が大事にしたいことも
そんなに大きくはかわっちゃいない。
でも、どんどん言いたくなかったはずの言葉を口にして、
どんどん自分の理想が遠くに見える。

『所詮、机上の綺麗事だったんじゃないか。』と
言われたら、それはきっと違っていて、
こういう時に迷わないように、戻ってこられるように
理想を語って綺麗事を並べるんだよ、と。
『綺麗事すら言えないなら何も守れないだろう』と。

話を戻して『余裕』についてだが、
かつてから自分も言っていたはず。
『余裕』が全てだと。
だから、保護者の方には楽をしてほしいし、
そのために、全力で助けたいと心から思ってる。

それを改めて痛感している。
『余裕』がないだけで、自分の言動に意識が向けられない。
発した言葉を頭で反芻して何してるんだと落ち込む。

『余裕』があれば笑って流せる言葉も、
『余裕』ないと突っかかってしまう。

『余裕』があれば丁寧に伝えられるはずのことを
『余裕』がないと、最短距離で伝えてしまう。

極限まで余裕がなくなると、
笑い声と喋り声すら鬱陶しく思えそうになる。

『世界は自分のみたいように見ている』と、
子どもたちに話したように、

きっと彼らはそんなには変わっていなくて
(いや、口も悪くなったし
考えられることも増えた分
一筋縄ではいかない場面も増えたけど。)

きっと『こちら側の捉え方』が変わっただけ。

もう頭の中パンパンのアンパンマンで
見逃しちゃいそうになってしまうけれど、
冷静に振り返ると、あの子もこの子も成長していて、
出来ることも、持てる優しさも、たくさん増えてる。

見えるはずのものが見えなくなって、
許せるはずのものが許せなくなって、
笑えるはずのことが笑えなくなる。

全部こっち側の捉え方の問題だからな!
ということを肝に銘じておきたい。

ということで『余裕』って大事。ってお話。

お父さん、お母さんも安易に人を頼って、気軽に楽して、自分のことを大切にね。
それが、結果的に『子どもたちのため』になるから。

そして、『余裕がない』はなんの免罪符にもならないよと、自戒の意味も込めて。

ゆっくり、丁寧に関わっていこう。

子どもたちも少しずつ大きくなって、
大きくなった子達とワライバのことを、
子どもたちとの関わりのことを
生き方や人生のことを
話せることが増えていくのがとっても嬉しい。

気持ち引き締めて夏休み楽しみたい!!
夏が始まったーーーー!!

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