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「何もしない」から面白い

今日、久々にフルマスクを扱いました。

僕は表現というものは、「見せる」よりも「見られる」方が興味深いと思っていて、特にフルマスクはそのことを思い出させてくれます。

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表現とは「見せるもの」だと思われがちなのですが、フルマスクをやると「何もしない」ことの興味深さが際立ちます。
観客は、フルマスクがただ下を向くだけで「寂しそう」と感じ、ただ真っ直ぐ立っているだけで「緊張してるんだな」と感じます。
演者側が自身の解釈(「嬉しいんだー!」「悲しいんだー!」…)を押し付けて来ない分、観客が自分の想像や共感を投影することが出来るのです。

ちなみに、クラウンをやっても似たようなことが起こります。
演者が観客を笑わせようとあくせくしていても全くウケないけど、笑わせようのをやめた瞬間にウケたりします。

それでも演者が「見せる」ことに執着してしまうのは、「ただ見られる」ことが怖いからだと思います。
何もしないと、つまらないんじゃないか、退屈しちゃうんじゃないか、出来ない人だと思われちゃうんじゃないか、下手くそだと思われちゃうんじゃないか、サボってるって思われちゃうんじゃないか…
そう思えば思う程、何かをやらなきゃに囚われ、やらなくてもいいことをやり過ぎてしまったりします。

それを脱却するには、やはり「何もしない」ことの面白さを知る必要があると思います。演者も、作り手も。
これは引いては、「頑張らない」ことの尊さを知ることにも繋がるのですが、またそれは別の機会で話すことにしましょう。

※クラウンのWSは11月からオフラインで始まりますので、これを機に是非ともご参加ください↓


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