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嬉しい誤解

月に一度看護プロジェクトと題して12施設の看護主任や課長が集まる。が、コロナ渦に突入してからのこの2年は主にZoomを使っている。それだけでも助かる。

何せ以前は持ち回りで会場が変わり、横浜は緑区へ行ったかと思えば、翌月は葛飾区だったり。自分の施設を留守にしなければならなかった。

ところが昨今は「助かるわ」とも言い難い。自施設の中でZoom会議している間に色んなことが起こるからだ。なまじ居るものだから色んな人に話しかけられて、会議半分、現場仕事半分で気もそぞろ。本心を言えば現場オンリーにしたい。

正直、元々この会議が好きじゃない。何か得るものがあるというよりは、むしろ2020年にドラマ化された『鉄の骨(池井戸 潤)』を思い出してしまう。

談合。謎の日本的システムを問う。
建設現場から“花の談合課”へ。

この作品を読み、ドラマを観るまでは、談合とか調整というものの意味が分からなかったのだが、読めば読むほど『なるほどなあ~。』と思う。皆が皆、止めたいと思っているのに止められないものってあるんだな。

もちろん看護プロジェクトが、談合や調整をしているわけじゃない。そんなんだったら偉いこっちゃ。意味合いもスケールも違う。ただ、彷彿とさせられる場面があるのだ。

成長しようとするところや、良くして行こうという動きに対して圧力が薄っすらかかっているところ。

1施設だけ抜きん出るな。そんなことしているとこの先情報教えないからね。仲良くしないからね・・・とまでは言っていなくとも、良い方に合わせるよりは、皆で首を真横に傾けて「ね~!」とやっていないと浮いてしまう雰囲気だということは否めない。

『だって、うちは医者がダメだから』とか「うちの介護はポンコツだから」とか、とにかく人のせいにして頑張らない、良くして行こうとしない条約でも、いつもハブられる。もっとも、そういう条約はこの世間に多いので、多くの場所でハブられている。

しかし、個人の話ではないし、このままでは施設の皆に迷惑がかかるので、『ねー!』と首を傾けようと頑張ったのだが、頑として首が真っすぐのままだった。身体は正直。そして何という協調性の無さ。

***

帰宅途中、よく散歩中の犬に出くわす。中でも一匹の柴犬くんが、姿を見つけると、遠くの方から駆けて来てくれる。耳がびっと後ろにくっつくほどの疾走ぶりなので、飼い主さんも一緒に走っていて申し訳ないくらいだ。でも、嬉しい。可愛い。

しょっちゅう観ている光景だというのに、時々涙が出そうになる。嬉しいなあ、可愛いなあ。

私はあの柴犬くんが「あの人、こういう人だ」と思い込んでいるような人間になりたい。

よーし、よしよし!と、もはや、ピーン!と二足歩行になっている犬を撫でながら、内心「ごめん。ほんとは違うんだ。」とひそかに詫びている。

それでも、私は私。

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