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あなたのこと

就業して一日目、フロアに集っている高齢者の中に、その人は居た。

右に傾いた状態で車椅子に座っている小さなお婆さん。

皆がテレビに釘付けになっている中で、一人だけ視線をはずし、こちらを見た。
傾いたままで顔をこちらに向けて、じっと私の姿を見た。
私の全身が見えているのだろう。最初に目を見て、次に頭のてっぺんから足先まで見て、また目に戻った。

どうしてなのか分からないけれど、その方の事を一目見て、失語症なのだろうなと思った。
脳梗塞が既往にあることは、その姿勢の傾きからして誰にでも予測できるのだけど、何と言って良いのか分からないけど失語症を患っている人独特の目線の送り方だったからだ。

あ、どう表現したら良いのか、今分かった。
その方々は、いつも通訳を探している。
相手に悪気がないことも分かっているけれど、うまく伝わらない苛立ちと、ままならない身体を抱え日々を生きている。

そして、自分が言いたいことを少しでも分かる人を探している。

就業したのが10月。そして11月が過ぎて12月も半ば。

その人は、ずっと一緒に居てくれた。

当初、この職場の派遣ナースたちの難題は、お昼の食事介助をすることだった。ご家族の希望で、この方だけナースがやることになっていたのだが、皆口々に「もう、無理だよ。嚥下機能がどんどん低下している。今に詰まって窒息しちゃうよ。」と、嫌がった。

確かにそれは事実だった。

なので、自分が担当する時は、食べる雰囲気だけでも味わってくれれば・・・と思って隣に座った。
「無理しなくて良いからね。でも、気が向いたら口に入れてみて。」

私の時はいつも開口は良好だった。
「無理しなくて良いからね。飲み込めないな~と思ったら、ここに吐き出して大丈夫だよ。」と顎の下に手のひらを添えてみたり。

毎日向き合っているうちに、色んなことが分かるようになって来た。この方は我が恋人と同じでパンが大好き。何もつけない白いパンを頬張りたいのだ。
周囲の人が「危ない危ない!そんなことしたら危ない!」と恐れおののいて声をかけて来ることもあった。
でも、それは大抵、この人を知らない人だった。正確に言うと、何千回も逢瀬を交わし、既往歴や知識を手中に収めているものの、この人の”人”の部分については何も知らない人たち。

なので、その人は、そういった自称専門家が近づいて来ると顔をしかめ、動くの方の手で、しっ!しっ!と追い払う動作をしていた。

出会った時が既に今日か明日か?と言う状態だったが、それからのその人は少し食べるようになった。
そして、単語を少しづつ喋るようにもなって来た。

毎日が輝いていた。嬉しくて嬉しくて。

(私以外の)スタッフにはいつも怒鳴っている不機嫌な主任ナースが、傍に来て
「Ohzaさんが好きな人~?」と声をかけると、麻痺していない方の腕をスッ!と前に伸ばしてくれた。本当は頭上に掲げたくて頑張っているのだけど、充分過ぎるほどの感情表現で、涙が出そうになった。

涙が出そうになったと書いたのだが、それは私だけではなかった。

主任ナースが、「私、OhzaさんとHちゃんのやり取りが大好きなの。」と言って、医務室で声を詰まらせた。いつも不機嫌で怒ってばかり居る彼女が「実は、二人が一緒に居るところ、大好きで、いつまでも見ていられる。」と涙を流した。

今、Hちゃんは、静かに静かに呼吸をしている。眠る時間が多くなって無呼吸でいる時間も増えて来た。

が、ある瞬間、ぱちっ!と目開けると、私の顔を見ながらウンウンと頷く。その酸素マスクの中の頷きにどういう意味があるのだろう?
でも、何となく分かる気がして、私もウンウンと頷く。

湿っぽいのが嫌いな人なので明るい声で話しかけてみる。「テレビ、観る?」。
すると、「観るか」と単語が帰って来る。「あほか。」のイントネーションで。

一緒に笑う。

「パン くれ。」と言うので「食べれるか。」と言い返すと、少ない呼吸で笑って見せる。
手を握る。

ドンドン機能が低下して行く中で、心が健康な人は居る。ごく少ない呼吸を繋いで生きているというのに、激しく精いっぱい生きている人がこの世にはいる。

でも、その美しさや強さは、真近に在り呼吸のリズムが合うほど共に過ごした人にしか見えない。

誇り高き魂を可哀そうだなんて思わない。が、何故なんだろう。その小さな胸郭が懸命に呼吸をしている様を思い出すと、涙が溢れて止まらない。

明日も会えますように。

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