愛情表現
時々遭遇するタイプの人がいる。
例えば、私があきらかに好きな人、尊敬する人が居ると、対象をこき下ろす人。
幼い頃だと、わかりやすくけなすだろう。「あんな子、全然良くないよ。どこが良いの。」とか「あのね、あの子、いじわるなんだよ。」とか。
学生時代だとスポーツのプレー中に素晴らしいゴールを決めた子を褒めれば、それを聴いた途端、ムキになって自分もゴールを決めようとする。私が褒めた子を突き飛ばしてまで。
幼い頃や学生時代に限らずとも、大人になっても同じようなレベルで否定する人も居る。
多分だけど、一部の人たちのこの癖というのは治らないのだろう。
「自分の方が凄いよ。」「自分の方が尊敬に値するよ。」という方法で注目や愛情を勝ち取ろうとするのは、もしかしたら、もっと遡って、兄弟たちと競いつつ親を意識していた時代が原型かも知れない。
が、これをやられて喜ぶのは、同じパターンを持つ人たちだけだ。
愛だと勘違いしている自己顕示欲。自分が持つ歪んだ情熱を相手も自分に向けてくれているのか?と喜んだり誇らしく思ったりするのかも知れない。
しかし私は昔から引く。これをやられると距離を置きたくなる。モノや金や技術や知識、釣り餌はその時々によって変わるけれど、「私の方が良いもの持っているよ。ほら、見て。」をやられると、途端に距離を置きたくなる。それは多分愛とは程遠い欲望だけの世界の匂いを嗅いで「関わりたくないなあ。」とさえ思う。例えばそれが仕事上の仲間だったとしても。
どうしてもKちゃんをダメな人扱いしたがる人がいる。頭が良い人で、あからさまにはやらない。
しかし、衝動が抑えられなくなるのか、思い出したように、何度も「如何にKさんがダメなのか?」を示したがる。
私は、それが何故なのか?も知っている。知っているからこそ悲しくなって示さざる得ない。
それをやるなら、私は離れますよ。その世界には居たくありませんと。
その人たちの世界は不安定だ。いつもグラグラ揺れ動くので、毎回言うことが変わるし不安でいっぱいだ。
本当は、その手のことは何もする必要がない。ただ自分であるだけで良く、良いものを良い、悪いものを悪いと、あるいは好きとか嫌いとか。
それが例え自分だけの感性だったとしても、全く表現できないばかりにおかしなことばかりするよりは、ずっと良い。
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