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知って明らかにする=諦めるということ

今日は心身の不調を訴えて休暇を取っていた人が退職を前提とした面談にやって来た。
北風が吹き空が曇った寒い日だった。

依然としてバランスを崩していてお辛い状況だったが施設長と3人で最善の方法を考えた。もう3年連続の冬季鬱のような症状とことだったが、段々ペースを掴んできているというエピソードもあった。辛い中でも出来ることを探して頑張って来たのだなあと感じ入った。

退職という運びにはなったけれど、彼女の自分を救うミッションが成功することを心から祈った。
まだ退職の手続きやその他諸々でお会いする機会はあるが、正社員になって数ヶ月一緒に働いて来た顔が見えなくなるというのは寂しいものだが、重ね重ね、彼女はまた心から笑える日は訪れますように。

この仕事はやっぱり厳しい。

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私はというと、ここのところ、別件で迷っていることがあったのだが、今日少しスッキリした瞬間があった。

むしろ絶望したと言って過言じゃないのだが、その瞬間、酷く冷静になれた気がした。
人の心というのは、そして、出会いというのは、実に不思議なものだと思う。

出会いたて頃、この人とは絶対に相容れないだろうと思っていた人と共感し合う瞬間がある。皮肉にもそれはこれまで信頼していた人がドン引きする行為をした時だった。

うわっ、何それ?!何でそんなことするの?と内心思っていた時に私より先に「どうかしてる!」と声を発した人だった。

この出来事に私ほど絶望する人は居ないと思っていたのだが、その人も負けないくらい驚いたしガッカリしたようだった。

その感覚は正常だと思えたのは、共感する人が居たからと言うわけではないが、変なことを変と思えてよかった!というスッキリした絶望感だった。

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