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観る目が無いという失敗 その2

先週の初め、コロナ陽性の方を発見してから、全てのことがストップしている。
色んな問題を片づけて行かなければならないと思っている最中に、それどころではなくなった。

が、罹患した人もお元気で何より。

良いのか悪いのか分からないが、今回のことでより密に介護職員の人々と話すようになった。何せ一日中感染エリアに閉じこもっているので。

半年間派遣社員として存在してはいたものの、正社員になった途端に役職をつけられて色んなことを変えて行くので「何?誰?」と以前から知っていても、改めて探りに来る人がいたり。

ちょっと不快な思いもしていた。

私は同職の人には少し厳しいことを言うことがあるが、介護職員の人々には怒ったことがない。自分には出来ないことをしている人々というのもあるが、彼ら彼女らが手伝ってくれないと何一つ進まないのが施設の仕事だからだ。

そんなわけで歴代の自分のことを偉いと思い込んでいる看護師の方々と比べると『こいつ、ちょろい。』と思い込んだ人々が不遜なことを言って来たりする。
職種に限らずこういう方々は居るもので、厳しくすると必要以上に恐れ、怖くないと思うと調子に乗り過ぎる。私が男性だったら決して言わないだろうなというような発言をして来たり、値踏みをして来たり。

でもまあ、そんなことは横に置いておいて今の事態を収束するために黙々と働いている、

もうあまり慌てない。この感染対応に関してもそうなのだが、失礼過ぎる態度や言葉についても、過去の例を思い出す。
特に何も言う必要もない。する必要もない。いずれ少しづつ分かってくれることだからだ。

私は多分執念深い方なのだろう。動物的でもある。後になっていくら言葉で誤魔化したり言い訳したりしていても、観たもの聴いたことを忘れない。
誰に何を頼めば良いか?間違えると誰が危険か?利用者だ。

すぐにキレないのは優しいからじゃなくて、一大事を前にしてちょっと横に置いておけるというだけの話なのだ。
相手によって態度を変える人々が手遅れになるのは、世の中に私のような人間が沢山いるということを忘れているからだ。

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