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弱虫の絶望装置

野球の中継で寝不足になると年がら年中ぼやいていたものの、夜に中継があるというのは何ともラッキーなことだと思いなおす。

早朝からだと仕事にぶつかってしまうじゃないかと嘆いていたものの、今日はたまたま休日だった。(ほんとは明日も休みたいくらいだわ。)

朝っぱらから試合を観ていて段々暗澹とした気分になって来る。それはもちろん結果が出ない苦しい状況が続いているからであって、応援している人なら誰にでもあること。ましてや実際にプレーしている選手や関係者の人たちなんぞは、マジもんの絶望だろう。

ところが、私、長年野球を応援して来てもあまりそういう気持ちにまではなったことがないので、これはいったいどうしたことか?と思う。

負けても「ちきしょー」とか「くやしいー」くらいはもちろん思うのだけど、別段自分自身の希望や絶望とは繋がらない。
それが、途中で「うわあ、このままだったらどうしよう?」と言う気持ちになったあたりから、負けた後の事を想像するようになった。どうやって自分の気持ちをフォローしようとか?
要するにガッカリする準備をしている自分の心情にビックリした。おーい、勝っても負けてもおまえの実生活に一切関係ないぞー、どうした?

どうやら何故だか此度においては、もし破れたら失恋や失業などよりも、もっと落ち込みそうと脳が判断していたらしい。

しかし、もう一つ気が付く。初めての感覚ではないなということに。
私は自分の弱さや気分屋ぶりを熟知しているので、いつもどこかで過剰な希望を持つことを避け、何かに大きく失望した時の準備をしている。それが何かに反応するとオートマチックのように無意識に働くほど何度も使用されている回路なのだと気づく。

が、7回に吉田が同点スリーランを打ったとき、涙が出た。

そのあと、あっという間に勝ち越しされたときには、『ああ、ほら、やっぱりダメなんだ。あいつのせいだ。』と再び手慣れた絶望装置が作動した。

が、時は9回。
大谷がセカンドまで到達して『ここからだ!』とか『来い!ついて来い!』と、おそらくはそのような意味のことを絶叫している場面を見て、また眼がしらが熱くなる。
そして、打った、村上。とうとう打った。

再び涙が出た。

野球は9回裏ツーアウトからなんて言葉が昭和の時代から言われているし、実際にそれに匹敵するようなシーンは何度か目にした。
でも、どこかで「そんなもんは無い。」と毎回思いなおす。何故だろうか?何度も見て来たのに。
多分、その方が絶望せずに済んで楽だからだ。

『何事も最後まであきらめないで欲しい。』とインタビュアーに応えるシーン。

何故だろう。とても泣けてしまった。何故だろうってこともないだろ?と、野球ファンの方々は思うかも知れない。

でも、おそらくは、皆さんにそれぞれの人生があって、それぞれの生活や世界、気持ちを抱えた上で、1シーン1シーンを見ていることだろう。

と、これもまたそんなあたりまえのことを心の芯で感じた。

決勝進出、おめでとう、日本。
おめでとう、応援し続けて来た皆。

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