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19歳、DV(家庭内暴力)の記憶を綴る
夕方、私はベッドにうずくまって寝ていた。眠りが浅くて、色んな夢を見た。今日の夢はれっきとした悪夢だった。
10年ほど音信不通な父親に、襲われる夢を見た。
私は彼の記憶がほとんど消えていて、高校1年の時に写真を見せてもらったが想像とだいぶ違っていて、もはや知らない男だと思った。とても優しそうな、笑顔の素敵な人だった。これが私のお父さんか、と他人事のようにつぶやいた。
けれども、彼は理不尽に暴力をふるう人だった。
そう、とってもこわい人だった。
殺されるかもしれないから、母は子どもたちを守るために、彼と縁を切ったのだった。
だから写真を見た時、本当にずるい人だと思った。こんな優しい顔をして、平気で殴るのだから。
これはDV男の特徴なのだが、怒りや暴力のきっかけ、トリガーがまったく意味不明で、急に乱暴になったかと思えば急に優しくなり、甘い言葉を囁く。殴るのはお前が悪いからで、俺はお前を愛してる。いつだってそれが彼らの言い分である。
思い出すだけでそのトラウマを追体験している気分になったり、過呼吸になったり、いわゆるPTSDのきっかけになるような記憶は、封印されることがある。辛かった、こわかった、苦しかったことだけは覚えていて、でもその時具体的に何が起こってどのようにそれを切り抜けてきたのかは、よく思い出せない。
私は、彼と家族だった数年が、断片的にしか記憶にない。
年齢だけ19歳で、しかし19年も生きていない。
父親は日本語がほとんどできない外国人だった。英語のネイティブでもない。だからどのように意思の疎通を図っていたのかまったく覚えていなくて、本当に親子だったのか信じがたい。
DV男なので言語の壁がなかったにしても話は通じなかったと思う。理不尽なことで怒られたり殴られた記憶は少し残っている。
彼が夢に出てくる頻度はだいぶ減ったが、小学生の頃は泣きながら夜中に目を覚まして母親を起こし、母はあったかいお茶を入れ、小さなお菓子を一緒に食べながら「こわかったね」と言ってくれた。
中学生になると、母は起こさなくなったものの相変わらず布団に顔を突っ伏して泣き、次の日は決まって学校を休んだ。高校も然り。
何度も何度も、死にたいと思った。何度も、自殺を試みた。
けど、やはり死ぬことはできなかった。
父親に襲われる夢を見た私は、それほどショックを受けてはいなかった。もうこれから先、普通には生きていけないことは前から知っているから。けれども目が冴えてしまったので、買い物行くことにした。
会計を済ませ袋に買ったものを詰めていると、後ろに並んでいた親子が視界に入った。娘は商品を袋に詰めに、私の隣へ来た。彼女は振り返って言った。
「お父さん、お箸もらっといて」
すると父は、「お箸二膳ください」と店員に言った。
そのやり取りが、たまらなく、たまらなく羨ましかった。
羨ましかった。
羨ましかった。
会話が成り立つ父親がいる少女はみんな、私の羨望の対象だった。
羨ましかった。
中学生の時、クラスメイトの女の子の家へ何人かで遊びに行って、夜になってみんなで外食しに家を後にした時を思い出す。
彼女は父に言った。
「行ってきます」
父は言った。
「おう。あんまり遅くなるなよ。みんなも気を付けてな」
その後帰宅して床に就くと、私はまた、布団に顔を突っ伏して泣いた。
羨ましかった。
羨ましかった。
悲しかった。
なんで私だけ、と思った。
寂しかった。
泣くことしかできなかった。
だからもっと悲しかった。
話ができるお父さんが欲しかった。が、それと同時に、母を大事にしてくれる父が欲しかった。私は、母が男の人に虐げられるところを見て育ったから、母と同じ会社の人や、私のきょうだいや祖母が母を大切にしてくれるのを見ていると、本当に本当に幸せな気持ちになる。
私が父を許せないのは、単に理想の父親でなかったからではない。
私の大切な母を大切にしてくれなかったからである。
父にも母にも恵まれない人を思うと、私は幸せなほうだと思う。母子家庭で大学に通えているのも、感謝しなければならない。
傷は手ごわくて、簡単には癒えないくせにえぐるのは簡単で。
でも、傷の分だけ、私は強くなる。
死んでしまった希望を生き返らせること、救いのない生から自分を救うこと、生まれてきたことが間違いでなかったと確信する日を目指して。
私は強い。
弱いから泣いたんじゃない。
強いから、泣いて死を回避したのだ。
たとえどんな残酷な仕打ちを受けても、暴力に殺されかけても、孤独と絶望に満ちた夜の連続でも、私の価値は揺らがない。
私たちはたぶん、誰かに望まれて生まれてきて、何かに生かされている。
人はそれぞれ、密かに地獄を抱えている
だから、なるべく優しく。できない時は、そっとしておく。
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