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セールスマンの死

"セールスマンには、基盤というものがないのだ。ナットでボルトを締められるわけじゃなし、法律に通じてるわけじゃなし、薬も作れない。靴をぴかぴかに磨き、にこにこ笑いながら、はるか向こうの青空に、ふわふわ浮いている人間なのだ。"1949年発表戯曲である本書は【老セールマンの自滅するまでの約24時間】を現代悲劇の象徴として描いたピューリッツァー賞受賞作。

個人的には、本書の前年なピューリッツァー賞1948年受賞をしたテネシー・ウイリアムズの『欲望という名の電車』を読み終えた後に、よく比較される本書の存在を知り、こっちも読んでみたいと手にとりました。

さて、そんな本書はかっての敏腕セールスマン、現在は60代の【仕事、お金、家族と全てに行き詰まった】くたびれた老セールスマン、ウィリー・ローマンの『帰宅した月曜日の夜から火曜日の夜に自殺するまで』の時間をフラッシュバックによる回想や、家族とのやりとりを挟みながら自由に描いているのですが。

ウィリー・ローマンほどの歳ではありませんが、中年ビジネスマンとしての立場もある私にとっては、本書でのウィリー・ローマンの【束の間の人生の栄光から必然の転落、そして孤独、絶望】また、ある意味で彼の犠牲になっている妻、息子たちの姿は他人事、昔の作品とはとても思えない位に刺さってくる現実的なところがあって、読みながらかなり強く気持ちを揺さぶられました(舞台で観たら泣いてしまいそう)

また、拙くも私自身の脚本も書く立場としてはウィリー・ローマンと息子たちと対称的な成功者親子こそ登場させつつも【ありきたりな絶対悪や特別な対立が存在しない日常劇】として、ここまで普遍的で深みのある物語、リアリティな造形の人物たちが描けるのか!と、こちらもかなり刺激を受けました。『欲望という名の電車』も素晴らしい作品ですが、個人的にはこちらの方が様々な人に刺さるであろう『普遍性』という意味でより好みでした。

現代社会に閉塞感を感じている誰かへ、また人生の午後世代の方にもオススメ。

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