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ちょいと勉強してみましょうか

世間は忙しく

絶え間なく動いている

あらゆるものは多様化し

情報は日々増え、流れている。

毎日を過ごす中で

学生時代勉強したものに

ふと触れる時もあれば

まったく触れずに終わることがある

触れずにいたとしても

大事にすべきことは

改めて思い出してみたり

勉強しなおしたり

そんな時間も重要だったりするのかな。

今日は人権について考えてみよう。

人権とは、

すべての人々が生命と自由を確保し、それぞれの幸福を追求する権利」あるいは「人間が人間らしく生きる権利で、生まれながらに持っている権利」であって、だれにとっても大切なもの、日常の思いやりの心によって守られなければならないもの。

なので、まだ幼い理解度の低い子ども達に対しては説明する時には、「命を大切にすること」、「みんなと仲良くすること」が人権を守ることになると言えます。

人権」は、難しいものではなく、だれでも、心で理解し、感じることのできるものです。

しかし、

現実には保護者から虐待されて命を落とす子どもや、パートナーからの暴力によって心身に深い傷を負う方がいます。

また、

高齢であるから、障害があるから、同和関係者だから、外国人だからということでいわれのない差別を受けることもあります。ハンセン病に対する誤った知識や偏見により,現在でも故郷に帰ることができない方もいます。

また、

高度情報化社会の進展によって、インターネットを通じたプライバシー侵害や名誉毀損なども発生しており、社会の情報化、高齢化、少子化が進展するなかで、人権の理解や人権そのものはますます重要になってきています。

日本国憲法では、

基本的人権について次のように定めています。

具体的には…
●国民1人1人は憲法によって侵すことのできない永久の権利として基本的人権が保証されていて、権利の濫用(らんよう)や公共の福祉に反しない限り、十分に尊重されなければならないとされています。(11条、12条)
●個人の尊重、生命・自由および幸福追求の権利です(13条)
●すべての国民は法の下で平等であって、人種・信条・性別・社会的身分などにより差別されません(14条)
●奴れい的拘束(こうそく)は受けません(18条)
●思想及び良心は自由です(19条)
●信教は自由で他から強制されません(20条)
●集会・結社及び言論・出版・表現の自由が認められています(21条)
●居住・移転及び職業選択の自由が認められています(22条)
●学問の自由が保障されています(23条)
●婚姻は自由で夫婦は等しい権利があります(24条)
●すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活をする権利があります(25条)
●国民はその能力に応じてひとしく教育を受ける権利があり、保護者は子供に普通教育(義務教育など)を受けさせなければなりません(26条)
●国民は勤労の権利と義務があります(27条)
その他、選挙権・請願権などが認められています。

大きく分けると基本的人権は

平等権・自由権・社会権・参政権・請求権

5つの権利によって構成されています。

障がいを持つことで

奪われる人権や傷つけられるものって

何があるのでしょう…

平等権→
性別や年齢、出身地あるいは障害があることで差別を受ける。

自由権→
日本で定められた法律やルールの範囲外で、思想・発言・学問・住居・移転・信教・職業の選択などに関して侵害・干渉される。勝手に敷かれたレールの上でしか生活をさせない。

社会権→
生存・生活の維持を確保するために必要最低限の教育を受けられなかったり、労働者の権利すらない。

参政権→
個人の意思以外の理由で、政治に参加させてもらえない。

請求権→
労働や損害に対して、一連の請求をさせてもらえない。

人間だれもが生まれながらに持っている「人間らしく生きる権利」

これをを大事にしようとする基本的人権の尊重。

日本国憲法の三原則(国民主権、平和主義)のひとつでもあり、日本を形成する上でも非常に重要なものかと思われるが、障がい福祉事業ないしは就労移行支援事業所として守るべき人権とは何なのか。

「人として」「自由」「差別なく」「生きる」「勉強」「労働」「社会参加」こんなものがキーワードとして出てきそう。

答えはない。

正解もない。

ほんと心で理解し感じるものなんだろう。

思いやり配慮のある世の中であれば

こんな悩むこともないんだろうな

そもそも

これを考えなければいけない社会

ということ自体も課題かもしれない。

あ。いかん。いかん。

話を大きくする癖が出ちゃった。

そもそも

何故弱者を救済しなければいけないのか

なんて喧嘩腰に質問して来られる方も

いるのだが

弱者が弱者である認識も

個人の判断によるもの

そう言っている方でさえも弱者

である可能性は存分にあり

話している私も弱者であるかもしれない

障がいの有無や性別、年齢の違いなどによって

区別をされることなく、主体的に、当たり前に、

生活や権利の保障されたバリアフリーな環境を

整えていく考え方を意味する

ノーマライゼーションな考え方でみると

誰もが生きやすい社会の実現には

極めて過酷な生活を送っている人が

生きやすい世の中は

誰もが生きやすい世の中だよね

って簡単に考えればイメージはつきやすい

でも、これを気に入らないのが

弱者とまではいかずとも生活困窮はしている

または気付いていないグレーゾーンな方々

自分たちには利益はなく、自分たちより

下々のものに恩恵があるのが許せれない

だから

蔑み差別する

僕らは彼らとは違う

みたいな感じで

これが差別や虐待の本質なのかもしれない。

国は誰も捨ててない

誰もが平等だと言っている

何を基準にして平等?

そんなことは一旦置いておいて

等しく平らであると言っている。

何が?

それも置いておいて。

公平といった方が分かりやすいかもしれない。

皆には等しくチャンスはある。

掴むかどうかは別として

可能性は皆に公平に与えられている。

日本という国に生きている上では

そのチャンスは与えられている

環境や家族構成、収益などで

状況は変わってくるかもしれないけれど

「環境は用意しているよ」

これがお国の言いたいことなんだろうに

さぁ

そんな中で

人権とは

はたまた

権利とは

何なんだろう

今一度考えてみよう。

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