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一週間の籠もり生活から始める2024年、自分にとっての『豊かさ』の再探求

ヨガや散歩、カフェにふらっと立ち寄る以外は、とにかく、部屋のベランダからジャングルのように生い茂った木々を眺めながら、ボケーっと過ごした1週間。

早朝は小鳥がさえずり、走っている人々や犬の散歩をしている人も。
今、南インドは一番過ごしやすい気候なのだ。

以前、「熱帯植物に囲まれながら、現在社会を生きる」こと、その為に大事にしていること、必要なもの、自分の感情などをまとめていて、このときから想いは変わっていない。

「物質的な豊かさと経済的な成功」

この定義が変わってきたのだと、私は憧れていた西洋社会での暮らしから実際に住んでみて現実を目の当たりにし、場所を「南」に移した。

日本社会では必要以上、というか負の感情を生み出すように仕組まれた内容の情報が多すぎる。そして、それにいちいち反応している人間が多すぎる。西洋社会では、多様性やフェミニズムなど大義名分を掲げた活動が世間で広がる一方で差別が酷すぎる。米国社会では、自らを守るという目的のために当たり前のように銃を保持する感覚がわからない。子どもが誤って銃を乱射し母親を家で殺してしまう事件なんて、いたたまれない。

情報が溢れる世の中だからこそ、自分の直感を信じる。
信じて行動する。

私自身は、仕事を変える度に国も変えるような人間だけれど、その度に自分の仕事の価値と対価は俯瞰的に見て、考察し、要すれば交渉する。

マレーシアの首都クアラルンプールで見た、超高層マンション群。
高層マンションに住むことが、「豊かさ」の定義のひとつであったり、都市化に伴って地価が高騰し、ここが妥協点の人々、職場から住宅補助が出ている人々、そもそも一軒家は郊外にしか建てられない等、理由は様々だと思う。

クアラルンプール都心

ただひとつだけ確かなことは、「私は、住めない」ということ。
例えお金があったとしても。大都市の同質化。目線を遮る摩天楼は、見ているだけで気分が暗くなってしまう。

南インドに住んで、そして文化外交や教育に携わることができて、とてもQOLが高いのを感じる。仕事だけじゃなくて、毎日、オートリキシャや自転車で近所のヨガやバドミントンで程よく運動ができ、マラソン大会に参加したり、ふと旅行に出かけたり。

南ベトナムの好きだった生活と似たような生活が出来ている。

私にとっての「豊かさ」の定義

・自然環境に調和したデザイン
・精神的な豊かさと文化の多様性
・良い人間関係とコミュニティ
・新しい価値(価値観)の創造

とりわけ南インドの精神的な豊かさや文化の多様性には日々魅了されている。新聞にも、毎日のようにどこかで絵画、クラフト、サリー、本、芸術、文化関係のイベントの案内が記載されていて、毎日異なるヨガのポーズと効用や星占い、旅行記、世界の食、メディテーションや哲学的な物語、本の紹介などがカラフルに綴られているから。

タミル語で「感謝を忘れずに」と書かれたマグカップ
@a21studio ケララ州に建てたい本箱ツリーハウス

本1冊読むのって、自分の想像以上に時間と集中力とエネルギーがいって、瞑想のトレーニングと同じで、読書にもトレーニングが必要だと思う。集中するために、何かの音楽をかけてみるんだけれど、その音楽を選ぶのに時間をかけて、結局どこまで読んでいたのかわからなくなる瞬間とか、本の文章から他の事象を調べたくなって、パソコンで調べていたら、結局どこの頁まで進んで、自分がふと思いついたアイデアや思考って忘れるものだから。

「熱帯植物に囲まれながら、現代社会を生きる」
そのものが、私にとっての「豊かさ」でもあるのかもしれない。

@Architect 


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