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第一部 勝者と敗者をめぐる謎【本:銃・病原菌・鉄】

数か月前に購入したものの、結局ベトナムまで持ってきて、ようやく読み進める。ジャレド・ダイアモンド氏の著書『銃・病原菌・鉄』。上下巻あわせて800頁にも及ぶ大作は、しかし実際に読み進めてみると、面白すぎて、歴史上に登場する国家や皇帝や動植物や民族の絶滅種など、同時に調べ始める。で、これはひとつのnoteには到底収まりきらない、ということで部に分けることに。

「歴史は、異なる人びとによって異なる経路をたどったが、それは、人びとのおかれた環境の差異によるものであって、人びとの生物学的な差異によるものではない」

というのが、氏が与えた著書の概要であった。

ジャレド氏いわく、通常、欧米の歴史家が人類史について本を著すときは、ヨーロッパの歴史と、ヨーロッパからの移住者によって建国されたアメリカ合衆国の歴史に焦点を当てるのが一般的であるが、彼が人類史全体の説明を行う際、東アジア や太平洋域の人類社会、つまり日本に地理的に近い国々の歴史の経路に重きを置いている。これは、氏がアメリカの都市とニューギニアの村落に住み、現地の人々と共に生活をしていたが故に出てきた疑問、好奇心、研究の賜物だと思う。

以下は、上下巻の目次である。第一部の前には、プロローグもあり、その中で氏は、あるニューギニア人との出会いと問い、研究に対する好奇心と問いに対する答えを探る。そして、その過程が、本書を執筆することになった原動力だと語る。今回は、このプロローグと第一部をまとめた。

第一部
第一章:1万3000年前のスタートライン
第二章:平和の民と戦う民の分かれ道
第三章:スペイン人とインカ帝国の激突


第二部
第四章:食糧生産と征服戦争
第五章:持てるものと持たざるものの歴史
第六章:農耕を始めた人と始めなかった人
第七章:毒のないアーモンドのつくり方
第八章:リンゴのせいか、インディアンのせいか
第九章:なぜシマウマは家畜にならなかったのか
第十章:大地の広がる方向と住民の運命

第三部
第十一章:家畜がくれた死の贈り物
第十二章:文字をつくった人と借りた人
第十三章:発明は必要の母である
第十四章:平等な社会から集権的な社会へ

第四部
第十五章:オーストラリアとニューギニアのミステリー
第十六章:中国はいかにして中国になったのか
第十七章:太平洋に広がっていった人びと
第十八章:旧世界と新世界の遭遇
第十九章:アフリカはいかにして黒人の世界になったか

あるニューギニア人(ヤリという名の、カリスマとエネルギーを発散させているような政治家)との対話から起こった「なぜヨーロッパ人がニューギニア人を征服し、ニューギニア人がヨーロッパ人を征服することにならなかったのか?」「あなたがた白人は、たくさんのものを発達させてニューギニアに持ち込んだが、私たちニューギニア人には自分たちのものといえるものがほとんどない。それはなぜだろうか?」という疑問に対し、25年後の1つの答えとして書かれた。

歴史家のなかには、この疑問を問うことをやめてしまった人もいる。

この疑問は、単純な質問だったが、核心をつく質問でもあった。現代世界に存在するさまざまな社会間の差異に対して投げかけられたものと考えることもできる。

「世界のさまざまな民族が、それぞれに異なる歴史の経路をたどったのはなぜだろうか」この疑問に答えるうえで、もっとも多くの情報を提供してくれるのは、太平洋域および東アジアの民族の歴史である。これらの地域には、現在でも、世界の言語のほぼ半分が分布している。

オーストラリア大陸:石器を使った狩猟採集の生活をするアボリジニ
ニューギニアやポリネシア:磨製石器を使う農耕民
日本や中国:鉄器を発達させ、文字文化を発達させた国家

研磨加工を施し、刃先の長い石器を最初に作ったのは日本人だった。これは、ヨーロッパで石器が研磨されるようになる15000年以上も前のこと。世界で最初に土器を発明したのも日本の狩猟採集民だった。それはヨーロッパで土器がみられるようになる5000年前。

#集権的政治組織
#原始的
#人類の進化
#言語
#歴史

現在世界においては、ユーラシア大陸系の民族、とりわけヨーロッパや東アジアにいまでも暮らしている民族と、ユーラシア大陸から北アメリカ大陸への移民を祖先とする民族とが、世界の富と権力を支配している。アフリカ大陸の多くの民族をはじめとする人々は、ヨーロッパ人の植民地支配を払拭したものの、世界の富や権力を手にするにはほど遠いところにある。

人類の歴史
さまざまな民族のかかわりあいの成果である人類社会を形成したのは、征服と疫病と殺戮の歴史だからである。アフリカ大陸では多くの国が今でも植民地時代の過去と闘っている。中米、メキシコ、ペルー、ニューカレドニア、旧ソビエト連邦、インドネシアの一部の地域では、多くの先住民が、侵略者の子孫が支配する政府に対して抵抗運動やゲリラ戦を展開している。ところが、ハワイ先住民、オーストラリア大陸のアボリジニ、シベリア先住民、アメリカ合衆国の先住民、そしてカナダ、ブラジル、アルゼンチン、チリの先住民は、殺戮や疫病によって人口が激減していて、多数派である侵略者の子孫に圧倒されて、独立戦争を戦える状況にない。

また、世界に現存している6000の言語の多くが、いま消滅の危機に瀕している

ヤリの疑問について考察すること自体に反対する人びと
もし、一つの民族がどのような経路をたどって他民族を支配するようになったかの説明ができたら、そのこと自体が、一民族による他民族の支配を正当化することにつながるのではないか。
→この種の危惧は、原因の説明と、結果の正当化や是認とを混同する典型的な誤解にもとづいたものである。何かの経緯を解明することは、その結果得られた知識をどう役立てるかとはまったく別の問題である。

われわれは、ヨーロッパ系の民族を美化するのではなく、西欧文明のもっとも基本的な部分が、非ヨーロッパ地域の民族が最初に発明し、発達させたものによって成り立っていることを知るべきなのである。

アメリカの都市とニューギニアの村落の両方で生活を送った私自身の経験から判断するならば、いわゆる「文明の恵み」と呼ばれるものには両面があると思う。例えば、現代の工業化された社会で暮らす人びとは、狩猟採集民よりも優れた医療を受けられる。殺人で死ぬ確率も低い。平均寿命も長い。しかし、知人や親類縁者からの支援という面では、狩猟採集民より恵まれていない。私が、居住地域を異にする人間社会の差異について調べようと考えたのは、ある社会が他の社会よりも優れていることを示すためではない。人類社会の歴史において、何が起こったのかを理解するために、これらの差異について調べようと考えたのである。

人種による優劣という幻想
人種間の知性のちがいが技術のちがいに比例することを示す明確な証明は何もない

#ダーウィンの進化論
#自然淘汰
#先住民社会

過去33年間、ニューギニア人たちといっしょに野外研究活動をしてきた経験。ニューギニア人は、知的である。周囲の物事や人びとに対する関心も、それを表現する能力においても。よく知らない場所の地図を頭の中で描くといった、脳のはたらきを表すような作業については、彼らのほうが西洋人よりもずっとうまくこなせるように思える。

ニューギニア人のほうが西洋人よりも頭がいいと私が感じる理由は二つある。まず、ヨーロッパ人の社会では今日、生まれた子供はたいていの場合、その知性や遺伝的資質に関係なく生きながらえ、子孫を残すことができる。ヨーロッパ人は、数千年にわたって、集権的政治機構や警察組織や裁判制度が整っている人口の稠密(ちゅうみつ)な社会で暮らしてきたからである。このような社会では、人々のおもな死因は、歴史的に見て疫病(天然痘など)であって、殺人は比較的少なく、戦争も例外であったから、死に至る疫病を逃れることができれば、人びとは生きながらえて遺伝子を残すことができた。これに対して、ニューギニア人は、疫病が発生しうるほど人口が稠密な社会に暮らしていなかった。そのため、ニューギニア人のおもな死因は昔から、殺人であったり、しょっちゅう起こる部族間の衝突であったり、事故や飢えであった。こうした社会では、頭のいい人間のほうが頭のよくない人間よりも、それらの死因から逃れやすかったといえる。しかし、伝統的なヨーロッパ社会では、疫病で死ぬかどうかの決め手は、頭のよさではなく、疫病に対する抵抗力を遺伝的に持っているかどうかであった。たとえば、血液型がB型やO型の人間は、A型の人間よりも天然痘に対する抵抗力が強い。つまり、頭のいい人間の遺伝子が自然淘汰で残るためのレースは、ニューギニア社会のほうがヨーロッパ社会よりもおそらく過酷であったのである。そして、人口が稠密で、政治機構の複雑なヨーロッパ社会では、遺伝的抵抗力による自然淘汰の比重のほうが高かったのである。

また、現代のヨーロッパやアメリカの子供たちが受動的に時間を過ごしていることにある。これに対して、ニューギニアの子供たちは、受動的な娯楽で楽しむぜいたくにほとんど恵まれていないが故、積極的に時間を過ごしている。子供の知性の発達を研究する人びとは、かならずといっていいほど刺激的な活動の大切さを指摘する。ニューギニア人は今日の産業化社会に見られるような、知的発育にダメージをあたえうる悪影響のもとで子供たちが育っていない。

その上で、著者の新たな疑問は

なぜ、ヨーロッパ人は、遺伝的に不利な立場にあったにもかかわらず、そして(現代では)知的発育にダメージをあたえうる悪影響のもとで育っているのにもかかわらず、より多くの「積み荷(cargo)」を手にするようになったのか。私がヨーロッパ人よりもずっと優れた知性を持っていると信じるニューギニア人は、なぜ、いまでも原始的な技術で生活しているのだろうか。

「北ヨーロッパのような寒さの厳しい気候は、創造力や物作りのエネルギーを刺激するが、蒸し暑い熱帯の気候は刺激しない」「寒さの厳しい期間が長いと、高緯度地域の人々は長い期間を屋内で過ごせるから物作りに精を出せる」のか?

現在の歴史の研究でもっともよく知られているのは、歴史学者アーノルド・トインビーの全12巻に及ぶ『歴史の研究』。トインビーは、23の先進文明にとくに興味を持った。

究極の要因の説明がなされていないことは、つまり、人類史を特徴づける大きなパターンはいまだに解明されず、われわれの知識には大きな欠落部分が残されている。そして、さらに深刻なのは、この欠落のゆえに社会モラル上の問題が放置されているということ。

歴史学、遺伝学、分子生物学、生理地理学、言語学、文化人類学、政治史・・・関連分野が多岐にわたる。このテーマをあつかう著者は、前記の多彩な分野の知見を学術的に統合できるように、それぞれの専門に精通していなければならない。各大陸の歴史時代と先史時代の知見を統合しなければならない。著者は、狩猟採集民の社会から今日の宇宙時代の社会までをふくむさまざまな人間社会を、直接的な経験を通じて理解できている人でなければならない。

#人類史を形作った因果関係
#人類の多様性

現存している世界の6000種の言語のうち、1000種はニューギニアでしか使われていない。

本書において、多くの友人の力を借りつつヤリの疑問に答えることにし、彼の好奇心、ひいては私自身の好奇心を満足させようと思う

第一部


第一章:1万3000年前のスタートライン

13000年前とは、地質学的には更新世の最終氷河期が終わり、現在に至る完新世がはじまった時期

約5万年ほど前の「大躍進時代」
クロマニヨン人から人類の美意識や宗教意識に革命的な変化
洞窟内に残された素晴らしい壁画、彫像類、楽器類

人間の創造性の大きな部分が言語能力に依存している

先史時代に人類が住み始めた島々を研究すると、どの島においても、人類種の登場につづいて動物種が絶滅している。モア、メガラダピス、ハワイオカヨシガモなど。

モア:マオリ族のニュージーランドへの上陸後、生息地の森林の減少や乱獲により急速に生息数が減少し、やがて絶滅

メキシコとの国境付近の遺跡:クローヴィス式遺跡
数世紀の間のおいただしい数の遺跡を残す

人類の先史時代の長さについていえば、居住可能な五大陸のうち南北アメリカ大陸がもっとも短い


第二章:平和の民と戦う民の分かれ道

モリオリ族とマオリ族
1000年ほど前に同じ祖先から枝分かれしたポリネシア人
ニュージーランド北島のマオリ族は技術と政治機構をより複雑化させる方向に進んだのに対して、モリオリ族はより単純化させる方向に進んでいった。モリオリ族は狩猟採集民へと後戻りし、マオリ族は集約型の農耕民となった。

モリオリ族とマオリ族は、同じ祖先から出発して、まったく異なる社会を形成した。二島において異質な人間社会が形成されていった理由が理解できれば、より大きな疑問を理解するためのモデルを持つことができる

ポリネシアの島々と多様な環境
イースター島、チャタム諸島、ハワイ、マルケサス、ニュージーランド、ピトケアン島諸島・・・

チャタム諸島やニュージーランド南島の寒冷な地域に住み着いた人々は、自分たちの祖先が数千年かけて発展させてきた農法を捨て、狩猟採集生活に逆戻りしている。ポリネシア地域では、タロイモ、サツマイモなど乾燥地でとれる作物が栽培。灌漑地ではバナナ、ココナッツなどの樹木作物も栽培されている。乾地農業は、土壌は豊かでも高地がなく、大きな河川が存在せず、灌漑ができないイースター島、トンガ諸島などで盛んにおこなわれた。ハワイでは、収穫したタロイモを使って集約的な養豚がおこなわれ、ボラやサバヒーを育てる養殖漁業もおこなわれている。

一般的に、政治単位の人口規模が大きく人口密度が高い程、技術面や社会構成においてより複雑で専門家された集団が形成されるといえる。

人口が稠密なところでは、農業を営んでいない住民が農民を支援するかたちで彼らを集約的な食料生産に従事させた結果、非生産民を養うに十分な食料が生産された。この農民を食料生産に専従させる役割をになう非生産者たちは、族長、僧侶、役人、そして戦士などであるが、最大規模の政治単位を持つところでは、灌漑施設や養殖池の造成に集団で取り組むことができ、より一層食料を増産することができた。例:トンガ、サモア、ソシエテ諸島

トンガ諸島:一番大きな島(トンガタプ島)の代々首長をしていた一族が他の島を征服し、海洋帝国を統治していた
ハワイ諸島:1778年、ヨーロッパ人がハワイ諸島を発見した際、ハワイ、マウイ、オアフ、カウアイは、周辺の小さい島々を支配しようとしていた

ポリネシアは経済や社会、そして政治において非常に多様である。この多様性は、それらの島々の総人口や人口密度が島によって異なっていることに関係している。もちろん、世界の他の地域の多様性のほうがポリネシアよりもずっと変化に富んでいる。

ポリネシアは、人間社会が環境によって多様化するという恰好の例。環境による多様化は起こりうる。同時に、大陸においても同じような変化が起こったのかを問わなければならない。また、それを引き起こした環境的要因が何であったか、その結果、大陸社会がどのように多様化したかを問わなければならない。


第三章:スペイン人とインカ帝国の激突

近代において人口構成をもっとも大きく変化させたのは、ヨーロッパ人による新世界の植民地化である。

1532年11月16日ペルーの高地カハマルカの悲劇
アタワルパ(インカ帝国の最後の皇帝)

「皇帝は聖書を調べ、「なぜこれは喋らない」と尋ね、地面に放り投げた。この行動はインカには書き文字が無かった事によるものだが、結果的にスペイン人に対しインカと戦うための絶好の口実を与えてしまった。」wikipedia

文字を理解する能力との関わり
何よりも、アタワルパがスペイン側の軍事力や意図についてほとんど情報を持っていなかった
騎馬隊を持っていたことによるスペイン側の優位性
人びとは馬を持つことによって、はるか彼方まで移動できるようになった。奇襲攻撃も可能になり、敵の反撃の前に引き上げることができるようになった。馬は、20世紀初頭にいたるまでの6000年のあいだ、戦場における有効な武器であった。

インカ帝国の内戦の原因は、パナマとコロンビアに移住してきたスペイン人が持ち込んだ天然痘。皇帝や後継者が天然痘で無くなり、王位をめぐる争いが内戦に発展。世界史では、いくつかのポイントにおいて、疫病に免疫のある人たちが免疫のない人たちに病気をうつしたことが、その後の歴史の流れを決定的に変えてしまっている。天然痘をはじめとして、インフルエンザ、チフス、腺ペスト、その他の伝染病によって、ヨーロッパ人が侵略した大陸の先住民の多くが死んでいる。

1713年の天然痘の大流行

オーストラリア先住民の人口を減少させることになった最初の天然痘の大流行は、英国人がシドニーに住み始めてまもない1788年に起こっている。

同時に、疫病は熱帯地域に移住するヨーロッパ人のさまたげにもなった。アフリカ、インド、東南アジア、ニューギニアなどでは、マラリアや黄熱病などの病気が、ヨーロッパ人がそれらの地域を植民地化するうえでの最大の障害だった。

スペイン人がペルーにやってくることができた要因のひとつは、インカ帝国になかった文字を彼らが持っていたことによる。情報は記述されることにより、口承よりもはるかに広範囲に、はるかに正確に、より詳細に伝えられる。コロンブスの航海や、コルテスのメキシコ征服についての知らせがスペインに伝えられたおかげで、多くのスペイン人が新世界へやってきた。

読み書きの伝統を持つスペイン側は、書物などから情報を入手して、ヨーロッパから遠く離れた場所の同時代の異文化や、何千年間のヨーロッパの歴史について知っていた。人間の行動や歴史について膨大な知識を継承していた。

ピサロが皇帝アタワルパを捕虜にできた要因こそ、まさにヨーロッパ人が新世界を植民地化できた直接の要因である。銃器、鉄製の武器、そして騎馬などにもとづく軍事技術、ユーラシアの風土病、伝染病に対する免疫、ヨーロッパの航海技術、ヨーロッパ国家の集権的な政治機構、そして文字を持っていたことである。

タイトルの『銃・病原菌・鉄』は、ヨーロッパ人が他の大陸を征服できた直接の要因を凝縮して表現したものである。

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