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ベトナム高等教育の社会主義的改造過程

ベトナムの高等教育について話をしていた際に「北部と南部の高等教育機関で何か違いが見られましたか?例えば、北部はより社会主義的影響を受けている為、教育機関での教育方針の違い等」という質問を受けた。

確かに、ベトナムでは、南部の高等教育機関や専門学校を中心に何度か訪れる機会があったけれど、そういった南部と北部の社会主義的観点から教育機関を見たことが無かったな、と思い、少し調べてみた。

「ベトナムにおいて高等教育の社会主義的改造がもつ特質を明らかにする」ことを研究テーマとした京都大学大学院の関口氏の内容が興味深かった。特に、南ベトナムの大学と国家の関係性に重きを置く。

・南ベトナム:国の復興・発展と経済成長に重点、アメリカ政府の援助のもと高等教育に寄与する人材の養成

・1974年の高等教育機関の類型
1.国立総合大学(サイゴン大学(1957年)、フエ大学(1957年)、カントー大学(1966年))
2.国立単科生高等教育機関
3.私立大学
4.コミュニティ・カレッジ

・従来南ベトナムには仏領時代からの伝統として法学や理学といった純粋学問を重んじる伝統があった。フランス統治時の人文教育の偏重と実学軽視の風潮を改革するべく、アメリカ高等教育の方式を取り入れつつ大学の多様化が図られていった

・1970年代:フランス式の大学組織からアメリカのモデルにそった組織構造の再編をおこなった

・私立大学の存在が認可されないのは、大学が国家に必要な幹部の養成機関として明確に位置づけられ、国家による直接的な管理を受けねばらないとされるため(大学の自律性が消失)
・南ベトナムの大学は教育省による一括保管のもとに置かれた

・1975年から1976年:「政治思想工作」に関して、南ベトナムの高等教育機関は通常授業を行わず、政治思想教育に専念した
・1976年政治教育学部がハノイ第一師範大学
・1976年:南部の高等教育にはより実学を重視し直接的に社会主義的発展ないし国家発展に寄与するための学問体系の再調整:カントー大学が広大な農村地域に存在するにも関わらず法学や文学を重視していると批判したうえで、それ以前のカントー大学を構成した学部である文学、法学、理学、農学、師範学を、農学と師範学部に統合

・国家発展ないし地域の生産性の向上のために教育・研究活動を組織するようになった

・大学内部の組織構造には社会主義的改造が施された
・南部から私立大学が消滅した
・ダラット大学だけは国立大学に類型転換することで機関の廃止は免れた

・民主主義から社会主義への体制移行に伴う大学の変容
南ベトナムにおいて大学相互間の水平的連携の強化が目指されたのとは対照的に、接収後の社会主義体制下では統一的な国家計画のもと細分化された専門大学と所管関連省庁という垂直的連関が協調されるようになっている

・社会主義的高等教育制度の原型ともいえるソビエト高等教育の制度的特徴

こういった、1954年のジュネーブ協定以降のベトナム高等教育の社会主義的改造過程の歴史を知りながら、今日のWTO加盟後のベトナムの国家の経済成長と大学機関の関係性を見ていくと、政治的思想や師範学と経済の両立を行う同国の特異性が多様な視点から考察できる気がする。

前途の質問に関して、教育方針の違いとしては、南北統一される前は顕著に、南ベトナムの大学の自律性があり、私立大学も運営されていたが、統一後は国家管理下で「政治思想教育」や学問体系の再調整が行われ、私立大学の消失、そして教育方針の統一が行われたともいえる。現在、高等教育機関数に関して、師範大学含めハノイが一番多く、政治の中心でもあるので、各省の官僚や経済学者等でも北部出身者が多いように見受けられる。

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