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「置かれた場所で咲く」よりも「人には咲ける場所がある」という考えを証明するために 〜発展途上国の農業開発リーダー育成を目指すアジア学院での学び〜

全くもって、聞いたことが無かった日本にあるアジア学院。途上国、主にアフリカやアジアの途上国地域から将来の農業開発リーダーを育成する学院で、今から約40年前に設立されている。ひょんなことからこの場所に出会い、ここでの帰国中の経験と研修の記憶を書いて残そうと思ったのは、何よりも自分の為であることと、人生を賭けて証明したいことの答えのヒントが、ここにあるような、そんな気がしていたから。

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この世界に生きて、約30年。ずっと、物事を「感じ」続けてきた。長かったのか、短かったのか、わからない。ただ正直、子どもの頃、まさか自分がここまで生きているとは思わなかった。でも、生きていても、まるで永遠の闇の中にいるかのような、途方も無い「生」だった気もする。

「学生時代の息苦しさ」「消費社会への疑問」「日本社会の同調圧力」普段何気なく過ごす日常の中で、ふとした問い、疑問、理不尽、自分らしさが失われる瞬間、不安、葛藤など、立ち止まる瞬間があって、それでも気づかないフリをして多忙な生活に溶け込んで、騙し騙しで取り繕いながら、なんとか生きて。問題を「隠す」ことに長けている日本社会と共に、私も「隠す」ことを教わった。自らの感情も、違和感も、社会に対する疑問も。

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そんな私を受け入れてくれて、とてもエキサイティングかつチャレンジングな環境が居心地良かったけれど、「金持ちをより金持ちにする仕組み」の中で、本当に助けたかった人々を助けられなかったグローバルIT企業時代。言葉と人々と向き合い続けたベトナムの政府観光局。優秀で尊敬する大好きな人々が暮らす地域での「経済成長」と「開発」へのジレンマ。そして、やってきたコロナ。「なぜ?」と問うても答えはなく、自然をねじ伏せ、この世界で人類が好き勝手やってきたことへの警告と制裁であり、ただでさえ取り繕った気遣いが美徳とされるこの国の、闇が際立って見えた気がした。

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日本では、「頑張って」と言われる。「耐えて」「安静に」「何かあったらいけないから」「周りに迷惑だから」「丁寧に」「完璧に」「間違えないように」。常に何か背伸びをしながら、少しでも言葉や態度に表すと、「もっと別の言い方があるんじゃない?」と訂正される。礼儀がなっていない、と。社会に対する「なぜ?」を繰り返すと、次第に飽きられる。ときに人を信じることを諦めて、それはこの国のルールだから、とでもいうような、社会の威圧を感じて、自分をそのルールに沿って正そうとする。

そんなとき、いつもベトナム人の適当さとしたたかさと鋭くて温かい言葉に助けられた。「マミは、そのままでいい」のだと。言葉だけじゃなく、ベトナム人の生き方から、常に、「自分を偽るな」と言われている気がする。コロナの影響での緊急一時帰国の前に言われた「ベトナムで待っているけど、ちゃんと『日本への旅行』も楽しんでよ!」という言葉も。Def Tech がかつて歌った『ありがとうの詩』の歌詞に、「自分の矛盾を肯定する大人だけにはなりたくはない」とあったのを思い出した。

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アジア学院での研修に参加する際に、「研修の目的」「この研修で得たいもの」等、他のどの活動にも通じる自分の目標たるものを書く機会があった。そういうとき、私は常に、かのベトナムのメコンデルタでの自分のできること、やりたいこと、必要とされているもの(Can, Want, Need)に沿って書いている。観光開発の意義、農業観光やコミュニティ開発、開発と保全のバランス・・・。それが、会ったこともない企業や団体の方々が「納得」しやすい理由でもあると思う。

ただ、常に人として「息苦しさの根源とは」「消費社会への疑問」「同調圧力への違和感」が根底にあったんだと思う。でも、来てから気づいたのは、これらの問いに対して、飽きずに、むしろ共に多くの時間を使って対話を続けられる人々に出会えたことで、自分の世の中の疑問や考えや価値観は、やっぱり貫かないといけないんだ、ということ。

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アジア学院で学んだこととは?

そう聞かれて、本当は何て答えたかったのだろう。なんとかプレゼンでまとめようとするも、なんだか形式的に答えている自分も否定できなかった。

「自分の考え」と「問い」が許された場所では、きっと人は自分を信じることができる

ここで出会う人々の言葉や哲学や価値観そのものが、「生きている」感じがした。本物だった、というか、そこには、自分に偽りのない人々がいた。多くの「問い」に「聞いてくれて、ありがとう」と言われた。「人に仕える指導者」の考えは、アジア学院の研修プログラムの中で、影響力が大きい。地域の人々の声を聴く、模範を示すリーダー、ファシリテーターの考え・・・。座学で学んで、その上ですぐに実践するから、何度も葛藤にぶち当たることになるけれど、それを試せる環境がある。それは、土に根差した寛大な人々の心と広大な場所。「本当の豊かさとは」「心の平穏とは」「自分らしくあるとは」「共に生きるとは」「自分の可能性を最大限に発揮できる環境とは」ずっと考えてきた問いへの、ちょっとした答え。

そして、自分を信じることができた、それがとても大きな収穫だった気がする。そんな自分に「マミさんと出会えたことが、この場での一番の収穫だった」といってくれた人とその人の言葉も同時に、信じることができた。

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アジア学院は、経営難に直面しながらも、世界中の教会からの支援金、寄付金、事業収入などで約40年続けてこれたという。どうしても、「世界各国の人々がいる」「農業リーダーシップ」「有機農業」「学院」「ボランティア」など、「一般の人々」に説明しなければならないキーワードが多々並んでいるのかもしれず、地域の人々に対して何をやっているのか説明できる人も少ないのだそう。

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人間を信じていなかった私にとって、「まぁ、説明しても理解されない人には、自分のエネルギーを余分に使う必要なくない?」とか思ってしまうけれど、そこもどこかで歩み寄りをしながら、より多くの人々とまずは出会うことも、「価値観で繋がれる人」「理解される人」により多く会うためと考えれば悪くないのか、と自分の考えを少し改めた。

実際の活動内容

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朝は、ラジオ体操、掃除、Morning Gathering(朝の集会)で始まり、午前中は、研修の目標設定、サーバント・リーダーシップ、農村開発戦略と人間開発、プレゼンテーション、少数民族と働くということ、などの授業を受け、午後は有機農業やFoodlifeを体験で学ぶ。

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「人に仕える指導者」の10の素質
1. Listening  聴く
2. Empathy  共感
3. Healing  癒し
4. Awareness  気づき
5. Persuasion  説得力
6. Conceptualization  概念化
7. Foresight 予測、先見 社会のビジョンを示す
8. Stewardship 預けられたものを責任を持って管理すること
9. Commitment to the growth of people 人の成長へのコミットメント
10. Building community コミュニティの構築

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テラスで食べるご飯。時間の価値が広がる。

Foodlifeとは「食べものといのちは互いに切り離せない。双方が互いに不可欠である」という事実と概念から生まれたアジア学院独自の言葉。持続的に農業生産を行えるよう基盤である土を豊かにし、そこに関わる人間関係がより美しくなるよう努力すること。また、Foodlife は、有機農法、食糧主権、労働の尊厳、自立するための食料の自給自足の必要性を深いレベルで理解する機会。

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近くの野木神社での落ち葉拾い。完全に自然メディテーションの瞬間。「没頭する」とはこのこと。

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広大な土地で、約70種類の農作物が育てられている。種植え、水やり、収穫、家畜の餌やり、掃除、計測・・・とにかく、たくさん。(専門知識が無さすぎて、とりあえずチームのリーダーに言われるまま。それもまた、嫌いではない)

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アジア学院から車で5分ほどの場所にも土地が。

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お世話になった研修センター(兼宿泊施設)は、素敵な木のぬくもりと大好きな本たちで溢れていた。

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私たちが到着する数日前まで「古本市」が開催されていたという。あー、本に囲まれる幸せな時間。

学生を Parcticipants と呼ぶ。
例年、世界各国から約30名の学生を受け入れているが、今年はコロナの影響で10名。インド、インドネシア、ベトナム、ケニア、ルワンダ、ガーナ等と日本の Participants。アジア学院が長年継続してきた意義が、コロナの影響で明らかになった話も聞いた。今年4月に入学予定で、ビザ発給のためにガーナへと飛んだシエラレオネからの4名の学生たちは、コロナ下で突然の国境閉鎖、ガーナで足止めされることに。そんなときにガーナのアジア学院卒業生が住宅の確保や、地域の人々に対して学生たちがコロナ感染していないことを証明したり状況の説明をしたり、リーダーシップ講座の授業を教える等の活動を行ったのだという。このことは、国境を越えたコミュニティ構築の好例であり、アジア学院の誇りでもあるだろうし、私にとっても、大きな夢や長期的な目線に立って、常に毎日に集中することの意義を教えてくれた。

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日本人の participant である Hiroka さんは、「自然を守り、環境を壊さない」持続可能な農業から、いつか国際協力、国際開発の道を検討しているという。「目の前の人に、すぐに教えられる技術を身に着けたい。」彼女の想いは一貫していて、共にその夢を叶えたくなるくらい、エネルギーに溢れていた。

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「なぜ、観光やマーケティングが専門なのに、農業の研修なのか?」参加した後に、何人かに聞かれた。「自分の違和感に対する本質を見極めるため」(生き方)と「メコンデルタで農業や酪農を専門とする人々と出会い、農業×観光×教育の未来を感じたから」(仕事)だろうか。それが、自分の「業」としての専門であろうがなかろうが、日々目の前にある、食品ロスはなぜどこでどのように起こるのか、とりわけ世界中で食料生産に必要となる水資源や農地の確保技術開発およびサステイナブルな農業の推進への取り組みがなされているのと同時に日本で年間600万トン(世界中で飢餓に苦しむ人々に向けた世界の食糧援助量(平成30年で年間約390万トン)の1.6倍に相当、世界中では人が食べるために生産された食料の三分の一に相当する約13億トンが毎年捨てられている)の食品ロスが出ているのは何故なのか、有機農業は全てが良いことなのか、なぜ有機農業で生産された野菜は高いのか、むしろなぜ弁当やレストランやコンビニの食は安いのか、なぜ肥満や飽食と飢餓が同時進行し均等に分けられないのか、健康食品やサプリメントの開発は本当に必要なのか・・・これらを自分が「見たい・住みたい世界」に近づけるために。時間を見つけては、多くの本を読んで、大学や大学院の対話と議論を繰り返し、プレゼンテーションで自分の考えをまとめながら、人々と出会い語り合い、思えばずっと「人間とは」「人間らしい生き方とは」そして「それができる環境とは」を考え続けていたのかもしれない。そして、きっとこれからも考え続けるのだろう。

繋がる映画と本たち

映画「西の魔女が死んだ」では、なぜ、自分は周りに馴染めないのか?という葛藤と、自分のことは自分で決めるというシンプルでかつ難しい教えがあった。そして、それは、「置かれた場所で咲く」よりも、「人には咲ける場所がある」という教えでもあったんだと、アジア学院での体験から、少し証明できた気がする。

この学院での人々の出会いや、自身の違和感や疑問、好奇心から、とにかく本を読んだ。とくに自分の記憶に残る本が5冊ある。全ては「人と食(自然)」に関わっていて、自分の人生の羅針盤のような思想や哲学に溢れていた

1.窓ぎわのトットちゃん

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2.沈黙の春

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海洋生物学者として、科学薬品の乱用の恐ろしさを最初に告発し、人類に警告を続けたレイチェル・カーソン氏。この本は、人類が自然界の循環をかき乱している事実を広く知らされた。初版刊行から約50年を経た今も、衝撃的な内容。なぜなら、「歴史は繰り返す」ことを、今も痛感させられるから。

「病める世界ー新しい生命の誕生をつげる声ももはやきかれない。でも、魔法にかけられたのでも、敵におそわれたわけでもない。すべては、人間がみずからまねいた禍いだった。」

3.食糧と人類

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4.マッキンゼーが読み解く 食と農の未来

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5.世界最高のチーム Google 流

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この本も、私のふとした違和感や疑問に対して、「間違っていないよ」と教えてくれた気がする。研究や調査ベースで、成果を出し続けるチームを考え続ける。常に自分が「居心地の良い職場とは、コミュニティとは」「個々の役割を全うしながら、成果を発揮しているチームとは」を考えていて、ベトナムでもそれに近い環境に出会えたことが大きい。当たり前だけれど、1人でできることは限られている。共通のビジョンがあり、それぞれの力を最大限に発揮しながら、お互いを信頼し、反対意見も言い合え、成果を出すチームの一員になれることは、何よりも誇りだ。アジア学院でも、多様性を受入れ、価値観ベースのチームで仕事を行う感覚と、それがやっぱり「人間らしい」働き方だと痛感した。

もっと知りたくなった。ベトナムの「リーダー」たちに、哲学的な質問を投げかけて、対話をしてみたいと思った。「自分が持っているスキルやポテンシャルを十分に発揮できる環境は、いまや世界中どこにでもある」これを自分の人生でも証明していきたい。

King of My Heart

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そして、最後にアンソニー・ロビンスの名言を。
そう、「うわー、何から勉強したらいいかわからん」から、「目の前で起こっていることをどうやったら解決できるん」「時間が足りない!」と、自問を続ける中でも、まずその自分の世界への好奇心に感謝して、自分を信じて、「生きる」や「使命感」とずっと向き合っていきたい。それらはきっと、メコンデルタで出会った人々(人民委員会、観光局、酪農家、学生、日本人の農業専門家、ランナー仲間など)を繋げられる気がしていて、守りたい人々を守れる環境と自分が住みたい環境が線で繋がる、そんな気もしている。

あと、アジア学院のような場所がメコンデルタにあっても面白いな、そんなふとした考えもここに残しておこう。

“Most people overestimate what they can accomplish in a year and underestimate what they can achieve in a decade”

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