見出し画像

建築を学ぶには身体を使うべき【本:建築家、走る】

画像2

・この建築を建てることが街にとって、環境にとって、本当にいいことなのか、地域の人たちを幸せにすることなのか
・1997年のビルバオ現象「ビルバオ・グッゲンハイム美術館」

・戦後日本の建築業界
第一世代:1920年頃:初期
第二世代:1930年~1970年頃:国内発注形態
第三世代:1970年~2000年頃:移行期
第四世代:今:国内の建築需要は満たされ、国際レース

・文化や洗練とは対極にあるように見えた建築

・中国は、都市開発で主眼としているキーワードは「環境」と「文化・歴史」。中国政府の役人は、省エネルギーや二酸化炭素削減問題といった、世界がテーマにしている問題に敏感であることが、結局は利権獲得の最短の道筋だということを理解していて、都市開発でも、この2大テーマにそった開発にしか許可を下ろさない

・やみくもに原理主義に走らず、理想と現実の間、理想と欲望の間を、うまくバランスさせようとする意思がある。それがつまり大人のロジック。

・「哲学のある大人になれ」
中国では、全部が官僚との個別な交渉になっていること
ヨーロッパ、アメリカ、日本では、客観的な法的規準に沿って、建築も何もかもが一律に判断されるのが普通のやり方。その意味で「一律」とは、近代的な枠組みそのもの。日本では「表面的なルールさえ守ればいい」ともとれる。中国では、客観的規準が無いので、個別のネゴをベースにする。理不尽だが、その面倒くささ、屈辱にめげず、ニコニコし続けていないと、中国では通用しない。

・相手の利権、利用されるブランドの構図を認識しながら、自分ができることを分析する冷静さが必要

・中国は共産主義ではあっても、強烈なオーナー文化
中国「オーナー文化」、日本「サラリーマン文化」(リスク回避)

・中国と日本の飲酒文化
中国「ビジネスの入口」日本「打ち上げ」
相手に気づかれないように、上手に相手を切っていく
礼を尽くした「恋愛」

・フランスは文化というものの「利用価値」をよくわかっている国

・インドは、頭の中だけで回転をしているような感じで、建築デザインそのものにあまり敬意を表してくれない

・1997年の通貨危機以降の韓国は、国際的な場で勝負
彼らは現在のグローバル市場で仕事を獲得するには、どんなクオリティが必要かということに意識的で、自分たちの弱点も把握している。吸収力、学習能力、外に出ていく気持ち、自分たちの民族の中で助け合う意識も強い

・日本は風土や歴史に恵まれているが、危機感が無い

・20世紀のモダニズム建築「less is more」

・建築家というものは、「ハコに入れた方がいいんじゃないか」といわれたら、それがどんなに自分の美意識と反することだとしても、精一杯、解決法を考えてしまう悲しい習性をもつ人種

・生き物は、どんなに長い目で物を見ようとしても、結局は自分の生きられる短い時間のことしか考えられない弱い存在。その短い時間を基準にして、いいとか悪いとかを、つぶやく。それが自分自身を含めての、生き物の宿命。

・建築家は少しも妥協する必要は無いけれど、変わり続けるしなやかさが絶対に必要

・6年設計会社とゼネコンで働き、奨学金を得てアメリカの大学院へ留学。30歳をこえての「自分探し」

・アメリカのコロンビア大学にある建築関係で世界一といわれる「エイブリー・ライブラリー」という図書館

・イギリスにある1847年に創立された建築の大学「AAスクール」
建築を学ぶには身体を使うべきだ

・アメリカ流のディベート建築に惹かれず、日本のバブルは対岸の蜃気楼にしか見えず、ニューヨークにいるぼくの気持ちは、どうしようもなく冷めていた

・理屈ではなく腕力が必要だ

・勝者になるには、権威ある場所でカッコいい理屈だけいっていてはダメで、現実の中で自分の考えを実現させていく腕力が必要になる

・そのときの本流に対する批判性が、絶えず次の世界を作ってきた

・あきらめを知ったら、人生が面白くなった
・「コンクリートの時間」と「木造の時間」
木造の時間は、建物が完成してからスタートする。完成した後も、メンテナンスを続けて行かないと、腐って、土に戻ってしまう

・建築プロジェクトに際しての優先順位でもリスク回避が第一になっていく「サラリーマン」文化。日本の都市に魅力がないのは、サラリーマン的メンタリティによるリスク回避のせい。建築のデザインもどんどん保守化していく。

・とにかく現場に行って歩き回る。そして、一歩踏み込んで人間関係を作る。両者を手中にし、通い詰めるうちに、その「場所」に必要とされている建築が見える

・中国というのは現場にいる、ということがとても大事な場所

・工業化社会流の教育を、社会に出た後で否定していくことが、まさしく建築家になること。ただ大半の人は受けた教育のままで止まっている

・中央嫌いのひねくれもの
振り返ってみると、ぼくのヨーロッパのプロジェクトには、「中央嫌いのひねくれもの」が頼んでくるという共通項がある。マルセイユやスコットランドの人たちはその大乗選手。彼らは中央から強制されるのが大嫌いな、独立独歩、反骨の自由人です。そんな彼らと波長があう。21世紀の建築をリードするのは、中心ではなく辺境。中央に迎合しない辺境の心意気が、21世紀の建築をリードしていく。そして建築家は、その辺境の場所にどれだけのめり込めるか、が問われてきます。

・アメリカ的なクリーンなものから、なるべく遠ざかろうとする建築を求めてやってきた。時間がたって色が変わっていく状態、朽ち果てる寸前の姿までをイメージして設計に臨んできた。

・「日本にいたらダメだ」グローバリズムの凶暴性や、管理社会の厳しさを肌身に染みてわかるように

・今、ぼくの中では、自分の名前を残すというより、後世でも愛され続ける建築を作りたいという気持ち、楽しい人たちと一緒に楽しく仕事をしたいという気持ちが一番強くなっている

・プロセスが楽しい方が結局、完成度も高くなる

創造の場所であるカフェ代のサポートを頂けると嬉しいです! 旅先で出会った料理、カフェ、空間、建築、熱帯植物を紹介していきます。 感性=知識×経験 மிக்க நன்றி