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自然界の秩序とホモサピエンス【本:沈黙の春】

ふと思った。何かに「集中」できる体力と空間と時間があることは、どれだけ恵まれていることだろう。それは、WiFi環境、イスの座り心地、音楽、人々の声、机の高さ、プライベート空間、そんな軸で考えることもあれば、そもそも健康と平和あっての「集中」なのだ、と。この半世紀前の著書は、いつだって「不変性」を感じさせる。何が不変かというと、「結局、人類は学んでいない」「歴史は繰り返す」と、痛感させるのだ。初版のタイトルは『生と死の妙薬』だったという『沈黙の春』には「伝染病の予防と治療」「自然は逆襲する」「化学薬品」等の似た環境が2020年の目の前にある。ただ、この著書で、世界の環境保護運動が広がったのは事実だし、何より、この世界を見る自分の目が変わったことも経験できる。自分がコントロールできないものに落胆しても仕方がない。「集中」できる健康と「学ぶ」権利が与えられている限り、ただひたすら、集中して学ぶ。そして伝えることにより、より学ぶ。私はまだ、この世界の1%も知らない。

・毎年五百もの新薬が巷に溢れる
・自然と人間の戦い
・コントロールは、現実から遊離してはならない

・人間が密集して住んでいるようなところ、それも天災、戦争、極度の貧困破滅に見舞われて、とくに衛生設備がいきとどかないときに、疾病を伝播する昆虫が問題となり、防衛対策をたてなければならなくなる。だが、化学薬品を大量に使ってもその成果はごく限られ、へたをすると逆に事態をいっそう悪化させるばかりである。

・化学薬品の死の雨が降る

・ジャン・ロスタン「負担は耐えねばならぬとすれば、私たちには知る権利がある」

・大河、地下水もまた合成殺虫剤や化学薬品によって汚染されている

・第二次世界大戦を境にして、無機系の殺虫剤から〈奇跡〉の炭素分子の世界への転換が行われたが、むかしの殺虫剤すべてが姿を消したわけではなかった

・ふつうの人間なら、生命をうけたそのはじめのはじめから、化学薬品という荷物をあずかって出発し、年ごとにふえるその重荷を一生背負って歩くここになる

・WHOがマラリア撲滅の大運動を起こしたことがあった。マラリアカがDDTに抵抗しだしたので、ディルドリンにきりかえたら、化学薬品を撒布していた人たちのあいだにたちまち中毒症状があらわれた。

・化学薬品、殺虫剤は、人間対人間の戦いにも利用するため研究が進められていた

・動物用浸透殺虫剤は、主に牛につく寄生虫の幼虫の退治に使われる。家畜に大きな被害をあたえるこの寄生虫を防除するために、宿主である家畜の血や組織のなかに殺虫力のある毒を混ぜる。

・私たちはこのおびただしい水をまえに水不足になやんでいる。奇妙なパラドックスだ。というのも、海の水は、塩分が多く、農業、工業、飲料に使えない。

・無関心の犠牲

・原子炉、研究所、病院からは放射能のある廃棄物が、核実験があると放射性降下物が、大小無数の都市からは下水が、工場からは化学薬品の廃棄物が流れ込む。

・水の使用者は、年ごとにおそろしい危険にさらされる

・チャールズ・ダーウィン『ミミズの活動による栽培土壌の形成、ならびにミミズの習性の観察』ミミズが、土壌の運搬に基本的な役割を果たす

・1960年土壌生態学の会議でのシラキュース大学に集まった専門家たち。一度殺虫剤が使われれば、そのおそろしいかすはいつまでも土壌のなかに残る。

・かつて生命に溢れていた世界は無残にも壊滅していた。

・マサチューセッツ州のある町では、市役所がセールスマンに除草剤を買わされ、砒素が入っているとは知らないで、道路際の除草に使い、何頭もの牛が砒素中毒で死んだ

・秩序ある自然界では、草木はそれぞれ大切な、かけがえのない役目を果たしている

・皮肉なのは、ほかに選択性スプレーという完全に健全な方法があることがわかっているくせに、いままでのやり方にしがみついている

・自分自身で判断できるようになるのにいちばんいい方法は、いままでに行われた主な防除をいくつか見て、化学薬品に対する偏見にとらわれることなく野生生物の世界をよく観察している人たちの説明をきくこと

・もしも、外へ出たときは、足をよく洗ってやるといい、というのがせいぜいだった(当時、殺虫剤で麻痺や痙攣、嘔吐を起こす犬猫が獣医を悩ます)

・WHOジャワ西部でマラリア撲滅運動。猫が大量死。シェルダンの殺虫剤スプレーの犠牲になったのは、野生の動物や、飼犬、飼猫だけではなく、羊や食肉用の牛と、同じような目にあっている。

・野生生物にあたえる殺虫剤の影響を調査する研究費用は、自然界調査局からイリノイ州議会に提出する年予算の要求に含まれていたが、いつもまず最初に削られてしまう(研究費が十分にもらえない、この状況は特定の研究において現代にも続いているのでは。とくに調査研究、予防分野で。問題は重大だが、研究費は哀れなほど、少ない。)

・化学薬品で種子を加工する。そのため鳥が死ぬ

・「自然の美しさ、自然の秩序ある世界一こうしたものが、まだまだ大勢の人間に深い、厳然たる意味をもっているにもかかわらず、一握りの人間がことをきめてしまったとは・・」

・フィリピン、中国、タイ、インドネシア、インドでも同じようなことがある。こうした国の海岸沿いには、浅い池が散在していて、サバヒーが養殖されている。東南アジア、インド等の米食民族の人々にとってサバヒーは動物性タンパク質の大切な補給源なので、太平洋科学会議は国際的に学者の協力を求めて、発生地を探り、大規模な養殖を始めようとしていた。だが、化学薬品スプレーのため、池が被害を受け、半数以上が死んだ。

・米国農務省1958年ヒアリ駆除計画

・いまや、毒薬の時代
・工業が発達してくるにつれて新しい化学薬品の波が押し寄せ、公衆衛生の分野も大きく変った。天然痘、コレラ、ペストに人類がおびえていたのは、ついこのまえのことだ。たくさんの人間の命を奪う伝染病は、神のたたりと思われていたが、いまはそんなことに心を煩わすものなどいない。(半世紀前に書かれた内容が、現在でも「新しい」。そして、神のたたりではなく、完全に人間が自分の手で招いている。人間も、自然の一部にすぎない。)

・私たちの身のまわりには、癌の原因になる化学薬品が勝手にばらまかれている。砒素は、空気、水汚染、食物に残留、薬品、化粧品、木材防腐剤、ペンキやインクの顔料などにもなる。

・予防と治療。人間の環境に病気を発生させる無数の微生物があることがわかりはじめた。薬ではなく、伝染病を押さえることができた本当の理由は、環境から病菌を消し去る対策をとったことにある。

・自然は逆襲する

・疾病と伝播動物との関係
発疹チフス一キモノジラミ
ペスト一ネズミノミ
アフリカ睡眠病一ツェツェバエ

・殺虫剤に急速に耐性をもつようになったハマダラカ属の蚊

・私達は他の防除方法を目指して研究にはげまなければならない。化学的コントロールではなく、生物学的コントロールこそ、とるべき道。私達は、心をもっと高いところに向けるとともに、深い洞察力をもたなければならない

・昆虫学者、病理学者、遺伝学者、生物学者、生化学者、生態学者

・高きに心を向けることなく自己満足に陥り、巨大な自然の力にへりくだることなく、ただ自然をもてあそんでいる

・神経系統をじかに侵す化学薬品の使用をやめない限り、犠牲はたえてなくならない

・慢性白血病、ダウン症候群、発癌物質、悪性腫瘍

・化学薬品は一面で人間の生活に図りしれぬ便宜をもたらしたが、一面では自然均衡のおそるべき破壊因子として作用する

・虚弱きわまる作物をよく成育させようと、土壌をやわらげ、水はけや空気の流通をよくし、日照条件を考え、大量の肥料を投入する。そうなった田畑は、ある種の野草(雑草)や野生動物(害虫など)にとっても、いよいよ絶好の生活環境と化する。そこでそれらを排除するため、人間の介入がいっそうエスカレートせざるをえない。農業の発達とは、とりもなおさずこのいたちごっこのくりかえしであったことになる

以下は、著書が、別の記事で述べていたことば

・見すごしていた美しさに目をひらくひとつの方法は、自分自身に問いかけてみることです

・「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要ではないと固く信じています

・感動がないところに行動はない

・地球の美しさと神秘を感じとれる人は、科学者であろうとなかろうと、人生にあきて疲れたり、孤独にさいなまれることはけっしてないでしょう

・わたしたちの多くは大人になるまえに澄みきった洞察力や、美しいもの、畏敬すべきものへの直感力をにぶらせ、あるときはまったく失ってしまいます

この自然に対する畏怖や愛情というものを考えた際、ボルネオ島のコタキナバル山を思い出した。この山に対する観光マネジメントは徹底していた。人間を、人間は自然の一部に過ぎないのだと痛感させながら、自然に対する愛情も同時に育めるように。
登山するにも数万円かかり、必ず宿泊施設を確保し、登山ガイドをつける。一日に登山できる人数が限られている。登山道は、亜熱帯気候の多種多様な草花が咲き誇り、山の麓には川が流れる。商業化された他の山々とは、環境が全く異なっていた。

あの感動がまた、次なる行動へと導いてくれたのだろう。

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