スカンディナヴィアのキリスト教化
はじめに
スカンディナヴィアは北ヨーロッパに位置するスンカディナヴィア半島を中心とした北欧の地域。主な構成国は、スウェーデン、ノルウェー、デンマークであり、また歴史的・民族的な繋がりの強い、アイスランドとフィンランドも含まれることがある。この記事では主にフィンランド以外の4国を扱う。
ゲルマン人の故郷として知られるこの地ではゲームや漫画などでもよく見る、雷神ソールや、オーディンといったいわゆる北欧神話に登場する神々を信仰していた。しかし、10世紀前後でキリスト教に改宗した。今回はその過程に注目してみたい。
また、この分野では日本語訳されていない資料が多く、いくつかの引用などは参考文献の著者による翻訳の二次使用であることをご了承願う。
※この記事は学生である筆者が授業のためにまとめたものを修正・再整理したものであり、資料的価値はあまりないことをここに示す。
北欧ゲルマン人の社会
キリスト教伝来を語る前に、まずは当時の北欧社会について軽く解説する。ヴァイキング活動の始まった頃西暦800年代において、最も知られているのがアイスランドにおける社会だ。『アイスランド人の書』によると9世紀後半、西ノルウェー人が移住・植民した。そこで人々は主に農業と牧畜を行っていた。そのため一つの農場世帯は農民家族と奴隷・奉公人・労働者からなり10~30人だった。一つの農家で自給自足をし、生活上で不足するものは他地域での掠奪(いわゆるヴァイキング活動)・交易などで補填した。
彼らは基本的に独立した農民世帯として存在していて、他農家との関係は婚姻や親戚関係での同盟程度だった。930年頃アイスランド全体への植民が終わるとアルシング(allting、全島集会・全島大会)と呼ばれる機関が組織された。これは立法、裁判機能を持った法的共同体だった。各世帯間のいざこざの解決やそのための島内で用いられる共通の法が作られた。アルシングは48人のゴジと呼ばれる指導者によって運営されていた。このゴジは豪族(有力な農民)である必要がありましたが、豪族と一般農民の差は小さくないにしても、流動性があったという。つまり、世襲されるものではなく、その時に有力であった農民が豪族としてゴジのなった。個別農民の自立性を基礎にしていたため、一般農民はできる限り自身の実力に依存しており、自衛の必要があった。そのために親戚や婚姻などによる同盟関係以外にゴジなど豪族との保護忠誠関係を結んでいた。また、豪族の実力も彼らに随する農民たちの武装力にあった。
このようなアイスランドの初期社会は、社会的な基礎単位に程度の差こそあれ牧畜中心で奴隷も使った農業と、補助的な漁業をし、個別農場が独立性を持つ社会は他の北欧諸国にも共通していた。デンマーク、ノルウェー、スウェーデンでは王権が発達したが、基礎的な社会構造は自営農民と彼らの相互安全のための法的共同体にあった。
キリスト教伝来以前のスカンディナヴィア
キリスト教が伝わる前の北欧ではどのような信仰はあったのだろうか。いわゆるヴァイキング時代が始まった800年代、北欧では多神教の一種が信仰されていた。有名なところでは、雷神ソールや戦神オーディン、豊穣の神フレイとフレイヤなど多彩な神々を信仰していた。ソールは、雷神つまり農耕の神(雨は恵みで雷が落ちると作物がよく育つたら)として広く信仰されただけでなく、外部からの攻撃を自力で撃退するという独立農家の主人の理想像でもあったという。農民はそれぞれひとつとは言わないが特定の神を特に信仰していた。しかし他の神を信仰する農家との宗教的な緊張はあまりなかったという。また、地域的に行われる祭祀でも複数の神々が祀られた。ノルウェー王のサガ集である『ヘイムスクリングラ』によると11世紀初めの北ノルウェーでは秋、真冬、春の三回宗教的祭宴が行われたという。これらの神事は社会的結集とその誓約を宗教的に表現したもので、法的関係と宗教行為を同一のものとしていたことを示している。また、これら神事の司祭役は王が務めることが義務となっていた。
つまり、キリスト教以前の北欧では、統一された一つの宗教を信じていたわけではなく、伝承の中の神々をそれぞれが信仰し、王が祭事を執り行っていたのだ。
キリスト教化
北欧社会のキリスト教化は概ね緩やかに、時間をかけて行われたと言う。デンマーク考古学界の権威であるヨハネス・ブレンステーズはこう述べている。
つまり、北欧諸国にキリスト教が定着するまでには300年以上が必要とされたのだ。また、キリスト教の巨大な教会からの巧妙な布教があってしてもそれほどに時間がかかったのは一般農民たちと元来の宗教との慣習的な関わりがあったからなのである。
デンマークでのキリスト教布教は、800年代から始まっていたが、いくらか改宗者を得たものの、異教徒側(キリスト教伝来以前の多神教徒)の反撃にあい撤退した。その後、教化はまず王や首長などの権力者から始まった。
最も早くキリスト教化したのはデンマークで、当時の王ハーラル青歯王(ブルートゥースの語源)はドイツのオットー家の政治的侵入に敗れ960年頃にキリスト教の洗礼を受けた。以後デンマークはキリスト教国となった。
デンマーク、ノルウェー、スウェーデンの三王国では王たちの個人的な改宗があった。ノルウェー王で最初のキリスト教徒は10世紀中ごろのホーコン善王だった。彼は幼いころからアングロ・サクソン(イングランド)王アセルスタンにより養育されたと伝わっており、それ以後の王たちは一貫してキリスト教徒だったという。しかし、11世紀まで異教徒の抵抗は強く、オーラフ1世とオーラフ2世は改宗に熱心だったと言われ、オーラフ1世はしばしば暴力的な、つまり戦力を伴った半強制的な改宗を進め、異教徒の豪族・農民との戦いによって敗死したという。しかしオーラフに対する聖者信仰などが起こり、次第にノルウェーもキリスト教国となった。
スウェーデンでは最も遅くまで異教徒の影響が残っていた。10世紀末の王ウーロヴ・シェートコヌングが洗礼を受けて以来歴代の王はキリスト教だったが、ウーロヴは九年に一度のガムラ・ウップサーラの大犠牲祭の司祭役を務め続けた。大犠牲祭は政治的中心部でありながら異教の中心地でもあったウップサーラで行われる異教徒の祭祀で、人身供犠も行われていた。後のインゲ王はキリスト教では許されないこの役目を拒否し一時追放されることもあった。その後12世紀初めにガムラ・ウップサーラの異教神殿跡にキリスト教会が建設される形でキリスト教化が進みました。
このように北欧のキリスト教化はオーラフ治下のような場合もあれ、改宗をした王が国民を啓蒙するという形で比較的穏やかに進んでいったと言われている。穏やかに進んだことが分かりやすく表れているのがアイスランドのキリスト教化だ。
時代は前後するが、『アイスランド人の書』によれば、10世紀末、アイスランドにオーラフ1世により宣教師が派遣された。これにより洗礼を受けたり、海外で洗礼を受けて帰国した者たちが党派をなし、アイスランドには、旧来の異教徒とキリスト教徒が混在していた。前述したようにアルシング体制だったアイスランドは宗教行為と法的関係が同一のものとなっていたため、宗教の混在は共通の法を失うという危機を生じさせた。そのため、西暦1000年のアルシングにおいてキリスト教への改宗が法的に許可された。そして協議の末キリスト教を共通の法とした。アイスランドにおいて宗教は個人的な信仰の問題ではなく、社会の法と平和問題であったことをよく示していた。ただその反動としてキリスト教のゲルマン化というシンクレティズムが起こったと尾崎和彦は言う。
父祖から受け継いだ伝統的な宗教であっても、その祭祀で司祭を務める王や首長はキリスト教であったために、その祭祀の維持者が空白状態になることは農業・社会生活・習慣に悪影響があった。それは農民たちにとってキリスト教への改宗が避けられないものになっているということだった。
まとめ
ここまででスカンディナヴィアのキリスト教化の歴史を語ってきましたが、まとめるとこのようになる。
王や首長から始まったキリスト教化はおよそ1000年から前後300年という長い時間をかけて比較的穏やかに進んだ。また、長期間かかった理由は、農民社会において父祖伝来の異教は法的関係とも密接に関わっており、伝統を支えていたため、急激な移行はできなかったことにあった。しかしその伝統を司っていた権力者は教化されていたために、農民たちも変わらざるを得なかったのである。
参考文献
・百瀬宏、熊野聰、村井誠人編『北欧史』山川出版社(新版世界各国史)1998年
・尾崎和彦「北欧民族における比較思想的行為としての「改宗」-ゲルマン宗教からキリスト教へ」『比較思想研究』第29号 比較思想学会 2002年 105-112ページ
・阪西紀子「異教からキリスト教へ:北欧人の改宗を考える」『一橋論叢』第131巻第4号日本評論社 2004年 304-315ページ
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