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あったかい雨 [グッドミュージック・ステーション #23]

雨、雨、いつも雨。熱がある時に健康だった頃の身体を思い出せないように、雨が降ると世界の全部が変わってしまって、晴れの日はどんな姿をしていたか、どうにも思い出せない。そのもどかしさ紛れに傘を畳んで歩いてみると、ちゃんと寒い。
 雨が嫌い。雨が降ると傘をささないといけないから。靴の中のぬかるみも、傘から少しはみ出て濡れるリュックも、傘と傘がぶつかって会釈をするも相手は当たり前のように歩き去って行くのも嫌い。冬生まれの人は寒さに強いなんていうけど、梅雨生まれの僕は、ちゃんと梅雨が嫌い

雨は、人を遠ざける。3人並んで歩ける道は、2人と2つの傘で精一杯になって、1人を後ろに追いやる。遊ぶ予定は、なんか乗り気にならなくて、また来週になる。趣味の散歩も外に出る気が起きないからしない。ベランダからボーッと見慣れた、だけども確かに違う景色を眺める。

雨は、夏を遠ざける。夏の前に梅雨があるのは、なんだかすごく意地悪だと思う。ご馳走を前にお預けを食らっているようなものだ。BBQも、海も、全部梅雨の気分次第で中止になってしまう。さらに、完全に夏になる前の、少し暑くなってきた頃の夜の散歩が一番楽しいというのに、梅雨がその季節を奪ってしまう。なぜ雨はいつも邪魔ばかり…と恨んでいる。

 と、考えていたのは2年ほど前までの話で、今は雨がそれほど嫌いではない。音楽で言えば今日紹介している「never young beach」の『いつも雨』が、映画で言えば新海誠の『言の葉の庭』が、文章で言えば『Tokyo, Music&Us 2017-2018 エピソード1』で満島ひかりが出した「雨の日の傘の下のプライベート空間(晴れの日にはできないあれこれ)」というお題に小沢健二が作った文章が、僕の雨ないしは雨の日の捉え方を変化させたからだ。

 『言の葉の庭』からは、雨がもたらした共通の「気だるさ」という感覚や、「雨宿り」という共通の目的を持った非日常的な突然の出会いの美しさを感じ、『Tokyo, Music&Us 2017-2018 エピソード1』からは、傘がもたらす自由な空間の美しさを感じ、『いつも雨』からは、自分の暗い感情に目を向けることを「雨だから」という理由で許せてしまう雨の包容力を感じることができる。

芸術はいつも、僕の捉え方を変化させ、あっという間に世界を変えてしまう。捉え方1つでこんなにも世界が変わってしまうのかと、いつも驚かされる。今では、雨の日にすすんで散歩に出掛けてしまうほどだ。傘の中で、小さな声で『いつも雨』を口ずさんでいる。雨がその音を消し、傘が口元を隠してくれる。「傘をさしている人」でありながら、傘の中で自由に振る舞うことができるのは、雨が降っていてくれるからだ。

クライマックスはいつでも雨で
君を待つけど 会えないままで
どっかへ消えた 約束も果たせないまま
曲中サビ

 ずーん。である。でも、雨だから、雨が暗い気持ちにさせてくるんだ。悲しい気持ちは、忘れるじゃなくて受け入れることで向き合っていたい。一気に抱えきれず危なくなったら、「雨だからか…」と放棄してしまおう。そんなあったかい雨。いつもありがとうございます。

#雨  #梅雨 #憂鬱 #日記 #エッセイ #音楽 #日常

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