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I love you (and you?) [グッドミュージック・ステーション #22]

"I love you."「(私はあなたを)愛しています。」 これを読む皆さんは、言語界最強とも言えるこの言葉を発したことはあるだろうか。私はない。記憶にある限りでは。いや、絶対にない。
 想像したことはある。"I love you."という自分を。その時は、恥ずかしさと自己嫌悪で最悪の気分になった。それと同時に、なぜか小学生の頃に受けていた国際理解の授業を思い出した。
 英語ネイティブの現地の人が先生となり英語の授業をする国際理解は、決まってこの問いから始まる。"How are you?"そうすると、ポロポロと蒸し暑い教室の中の児童が「「「…ムファインセンキューエンドユー?」」」と気だるそうに答えるのだ。そして先生が、"I'm fine too, thank you. So, open your textbooks to page…"と続けて授業が始まる。
 儀式だ…と幼心に思っていたことを今でも覚えている。質問から考えれば、別にsosoと答えることも、badと答えることも、なんなら小学生なんだから文法的にイカれてそうなVERY FINEと答えることも出来るが、ここでは「あなたの調子」を聞かれているのではなくて、"How are you?"に対して英語で返すという言葉のキャッチボールに重点が置かれているということを、子どもたちは理解しているから「蒸し暑くて授業なんかしてられねぇ」という気持ちでも、慣習的にアイムファインとカタコトな英語で応答してみるのだ。つまりこの場合、疑問文であれど子どもたちに選択の余地などないのだ
 そこまで思考が脱線して、「もし、私がI love youを言ったら、その後はきっと無言で相手をじっと見つめてしまうだろう」と思った。"I love you."は疑問文ではないけど、そこには(and you?)を含まずにはいられないだろうと思った。それに、その言葉を言われる関係性である相手は複雑な心境があったとしても、そこで関係性を終わらせる気持ちがなければきっと"I love you too."と返すのだろう。そこに選択の余地はあるのだろうか。
 出来ることなら言葉のドッジボールだと言われても、"I love you."と言ったら間髪入れずに逃げたい。追手が来ていないかと後ろを振り返った時に避けられていたら悲しさの底に落ちるけれど。出来ればボールを持ったままでキョトンとしていてほしい。結局そこに相手への要求を含んでしまうけれど。
 「なんの話だよ。」と思われるかもしれないけど、今日私がしたいのは恋愛における選択の話。そして今回紹介したい曲はこちら。
Galileo Galilei」の『恋の寿命

 「恋の寿命」とだけ言われると、「あぁ、お別れの話?」と思うわけだが、実際に曲を聴いてみると「恋を愛にしたいあなた」と「恋のままでいたいわたし」の曲のように感じる。 しかし別にこれは「将来に本気なあなた」と「テキトーなわたし」との対立ではない。むしろ「わたし」は「あなた」との将来を本気で考えているのである。わたしのあなたに対する覚悟は曲の冒頭からずっと語られている。

もしも悲しみが爪をといで あなたのことを引き裂こうと
近づいても 僕がそこで終わらせる きっとその悪夢を
楽天家気取りでいたいんだ 何気ない強さがほしいんだ
君のために 僕のために 魂だって叩き売ったっていいんだ
その覚悟が僕にはね あるんだ
曲中1番Aメロ〜Bメロ

 現代版さだまさしの『関白宣言』と言ってもいいような覚悟の強さが伺える。(あれはあれで覚悟がだんだん揺らいでいくのが人間らしさを表していて魅力的なのだが)

 一般的にどうかは知らないが、この曲のわたしの解釈では「愛」は結婚のことを指していて、「恋」は付き合っている現状を指していると解釈している。付き合うという関係は、「一緒にいること」を両者が選択することで成り立ち、続いていく。しかし、結婚は社会的契約という性質上、「一緒にいること」が前提にまで押し上がり、「一緒にいるためにどうしていくか」が論点になっていく。つまり結婚において「一緒にいる」ということに対して選択の余地がないのだ。

「いつかね」って「いつなの?」って ずっとそんな調子だった
こぼれおちた涙を拾うよ
「どうしよう」って「なにしよう」って考えてたら朝になって
こんな風に 僕らはだれていたいだけ それじゃだめ
曲中1番サビ

 そんな予感がしているわたしはその選択を「いつかね」と誤魔化す。それに対してあなたは「いつなの?」と"I love you."に対する回答を迫るのだ。そして今ある幸福を味わうわたしに対して「それじゃだめ」と言うのだ。
 そして曲が進行していくにつれて追い込まれていくわたしは、「一緒にいるために」恋を愛に変えていくべきなのかもしれないという方向に向かっていく。このわたしの胸中はCメロ下記引用部分の2段目までに見出せる。

決心しよう 明日へと飛び込むように
約束しよう 二人で ここからでてく
愛の証明 さがして もつれていた糸
少しずつ僕らは ほどいてしまって
曲中Cメロ前半

 引用部分の3段目からは、いざ恋を愛に変化させるときに形式的な愛は結婚だと理解できるが、心情的な愛は何なのかという部分で揺らいでいるように見える。形式が変化すれば心情も変化する。しかし、わたしが気に入っているのは今の恋の気持ちなのだ。そしてわたしの決断がCメロ後半からラストのサビに示されている。少し長いが、全て引用したい。

「いつまで」って「永遠に」って ほんとうなんだ
でも君は笑って僕をみていた
ああもういいや なんだったっけ 話してたら朝になって
そんな風に 僕らはじゃれていたいだろ それなら
いつか向かえる恋の寿命を 先へ先へ 引き伸ばして
ヴァンパイアの恋人みたいにさ 君といたい
それじゃだめ?
曲中Cメロ後半(引用部分2段目まで)
曲中ラスサビ(引用部分3段目から)

 もちろん、「あなた」も「わたし」と一緒にいたいわけで、ただそれが終わりを向かえることが怖いのだ。だから終わらない愛にしたいと思っているが、「わたし」は、それは永遠に変わることがないと覚悟を口にする。
 それを聞いて少し安心したように笑った君を見て、わたしとあなたは目的は同じで、それに対する手段が違うだけなんだと言い、”I love you.”に対して、「君といたい それじゃだめ?」という回答を不安そうに、それでいて自分の覚悟の強さを示すことを選択したのである。

 ちなみにこの楽曲を制作したのは2013年で発売が決まったのが2014年末、Galileo Galileiのボーカルである尾崎雄貴が結婚したのは2014年〜2015年前半あたりではないかと言われている。そう考えると、恋をし続けることを選択したアナザーストーリーとして楽曲に落とし込んだと邪推することも出来るかもしれない。
 何はともあれ、いまだに色褪せない魅力的な楽曲である。

#日記 #エッセイ #音楽 #日常 #結婚 #恋愛

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